歴史散歩道[第2弾]味国記を掘り起こす旅 第6部 京都「錦市場」から伏見、宇治を訪ねて
第6部 京都「錦市場」から伏見、宇治を訪ねて
寺尾さんの足跡に現代の光を当て、刻むようにして「味国記」を掘り起こす旅を記してゆく作業は、有峰書店新社からの『復刻・味国記――ふるさと料理食べ歩き事典』刊行時期にあわせて、京都「錦市場」探訪へと、足取りのテンポを速めることとしたい。
JR岡崎駅で別れたカメラマン兼ドライバー役のS君と名古屋の駅前ホテルで合流した。翌朝、午前七時半に出発。名古屋から京都までは、関ケ原を越える名神高速ルートで170キロ足らず。二時間ほどで京都東インターを降り、山科を抜け、三条通りを西へ、ひた走る。鴨川を渡り、中心部・四条河原町の交差点を目指した。錦市場は至近距離にあった。簡単にいえば、東西に走る四条通りと、南北に抜ける寺町通りが交わる地点を、一筋だけ、北に上がると、錦天満宮があり、そこから高倉通りまでの、幅3メートルほどの狭い小路の両側に126軒もの店が、約400メートルにわたってひしめきながら、軒を並べている。
それにしても、日曜日の午前中だというのに、この「京の台所」と呼ばれる錦市場の活気のある賑わいはどうだ。早朝なら旅館や料理屋の関係者の買い出しで、もっと盛況だという。なぜか、ホッとする。自然光に映えるアーケードの天井の色もいい。朱、黄、緑の鮮やかなコーディネート。平成5年に完成したというから、寺尾さんが取材に訪れた時代には、こんなカラフルな光景はなかった。
ひと通り、賑わいの様子をカメラに収めたところで、市場の外に出て、商店街振興組合の事務所に立ち寄ったものの、生憎と日曜日とあって、閉じたままである。資料をもらう約束だったが、出直すことにする。で、なにが幸いするかわからない。事務所前で「京おばんざい」の立て看板を丁寧に拭いている若い女性が目に止まる。表通りからは見えないが、「蛍道」と呼ばれる細い路次の突き当たりの店で、錦市場で仕入れた食材でじっくり料理した「京風お昼ごはん」が用意できるという。
南四国でとれる山菜「虎杖(いたどり)」から店名をとっているのに、センスのよさが予感できた。浮き浮きと暖簾をくぐる。これが京都という町の不思議な魔力というのだろう、なんともおしゃれな構えの小料理屋がそこにあった。おばんざいが五種、それに生湯葉のお造り、エビの天ぷら、じゃこごはん。これで1,500円は安いか、高いか。地産地消を地で行く、いいもてなしを受けた充足感を抱きつつ、次の目的地・伏見へ向かった。伏見の酒が京料理に合う、つまり「おんな酒」として育ったのに、どんな物語を紡(つむ)いできたのか、それを知る糸口を求めて…。
「虎杖」のお嬢さんおばんざい御膳
酒造りは水が命だという。伏見に入って最初に訪れた「月桂冠大倉記念館」の奥まった一隅に、こんこんと湧き出るのを柄杓で受け止めて飲める場所があった。「さかみづ」と呼ぶそうで、丁寧な説明文も添えられていた。――この一帯が月桂冠発祥の地で、地下50メートルからの水は、隣接する酒蔵で使われており、その清らかに水はきめ細かくまろやかな酒質を生み出す源となっているという。ひと口、いただく。
月桂冠大倉記念館の「さかみず」酒蔵の並ぶ伏見の町並み
「御香水」が溢れる手水舎の水盤 伏見ではそれぞれの蔵元が、独自に資料館を設立し、伝承してきた醸造技術や酒造の歴史をわかりやすく展示し、訪れた人を受け入れている。その温かさが、いい。
「御香宮神社はいかはりましたか。そこの地下180メートルから湧き出る《御香水》は日本名水100選の一つで、桃山丘陵からこの町の下をゆっくり流れ、伏見の酒を育てています。ぜひ寄ってみてください」
「さかみづ」をいただいたお礼をいうと、記念館の広報担当氏が教えてくれる。
御香宮は近鉄桃山御稜前駅と国道24号線に挟まれた高台にあった。境内は折からの「七五三のお宮詣り」でごった返していたものの、「御香水」と銘が刻まれた石碑のあたりの神域は、神々しさを失ってはいなかった。が、肝腎の「御香水」をいただけるはずの「水飲み場」が見当たらない。境内をひと回りすると、拝殿の左脇に立派な石造りの手水舎(ちょうずや)があり、2本の竹筒から吐き出される「御香水」を、たっぷり受け止めていた。
このあと、町のはずれにある赤レンガ造りの八角煙突と、大黒蔵の佇まいで知られる松本酒造に立ち寄ったが、日曜日で閉まったまま。次に黄桜のカッパランドを覗いてから、観月橋をわたり、宇治・松本老舗の「豆腐羹」を求めて、宇治川沿いに南下した。
「黄桜」カッパランドの入り口創業200年の松本酒蔵
宇治の黄檗宗萬福寺、唐風の門構え 黄檗宗総本山萬福寺。普茶精進料理を出すことでも有名で、総門とよぶ唐風の雅趣に富んだ構えに感心しながら通りすぎると、門前町の一隅で「唐僧伝来」を謳った「松本老舗」の看板がひっそりと手招きしているではないか。
寺尾さんが取材した松本平四郎さんはすでに亡く、縁者の女性が秘伝を継いで、この国ではここだけの豆腐羹つくりにたずさわっているという。その日の仕事を終えたばかりの作業場に通された。年季の入った釜と石臼、木づくりの型箱。臼で挽いた大豆を釜で炊き、できあがった豆腐に重しをかけて水分を抜く。次に熱した生醤油にひたして3時間ほど煮上げて味付けし、さらに布に包んで、もう一度、水分を抜いて仕上げる。それを冬の半年間だけ、早朝からとりかかり、萬福寺をはじめ注文のあった数だけ用意する。もちろん電話の予約は受け付ける。萬福寺の庇護があるとはいえ、伝承を守る重しを背負うことの大変さ――このあと、次の日になって吉野路をめぐりながら、同じような宿命に生きるおふたりからうかがうことになる。
京都の台所「錦市場」の賑わいぶり