歴史散歩道[第2弾]味国記を掘り起こす旅 第5部 桑名の寄り道旅情、「蟠龍櫓」と「歌行燈」

第5部 桑名の寄り道旅情、「蟠龍櫓」と「歌行燈」


 これまで、桑名の町はいつも素通りして来た。1980年から1990年代にかけてのある時期、モータースポーツに熱中し、すぐ近くの鈴鹿サーキットへ足繁く通った。「現代のお伊勢詣」と位置付けて、七月の終わりには決まって『鈴鹿耐久八時間』レースの観戦に駆けつけた熱い記憶。ハマグリで有名なだけでは、もうひとつ、桑名という町はこちらを引きつける磁力に欠けていた。ところが、寺尾さんの「三重・時雨とハマグリ」のこの一文に触れてからは、直ぐにでも「七里の渡し跡」と「歌行燈」へ足を運ぶつもりになっていた。

泉鏡花の小説「歌行燈」の舞台になったうどん屋が、桑名市「七里の渡し跡」の近くにあり、小説と同名の料理を出す。三重県に多いシソめしと釜(かま)あげうどん、時雨ハマグリ、エビの天ぷらを巧みにとりあわせたもので、ダシはタマリ仕立て。伊勢うどんの腰の強さ、シソめしの香り、しめくくりは伊勢茶と時雨の茶づけ。香の物は伊勢タクアン、日野菜づけ、養肝づけと郷土の味でまとめているのがこころにくい。

 近鉄名古屋線・桑名駅からタクシーで「七里の渡し跡」まで急ぐ。八間通りと呼ばれる大通りから左折した。すでに午後5時半。かつては旧東海道の42番目の宿場町として、旅人で大いに賑わったはずの船着き場は、その行き止まりで、ひっそりと薄闇に包まれていた。

 目をこらす。大きな鳥居は「一の鳥居」と呼ばれ、伊勢の国はここからはじまっていた。その足元にうずくまる「七里のわたし」と刻銘された石碑。石段をあがると、眺めが開けた。伊勢湾がのびのびと広がっている、と思ったが、異星人の頭部かと見紛う金属製の物体がずらりと浮かんで、中洲から向こう岸までつながっている。あれが長良川河口堰か。揖斐川と合流して、これから伊勢湾にそそぎこむ河口であったのか。ハマグリは、淡水と海水がよく混じり合う河口付近の海でよく育つ、と聞く。つまり、桑名がハマグリのためにある土地柄だと、的矢を訪れたばかりだから、余計に納得できる眺望であった。

「味国記」もこう記している。

昔も今も、桑名ではハマグリがうまい。埋め立てと汚染の不安で、現地産は激減し、房総、九州、韓国などからの移、輸入に頼っているのが実情だが、調理と加工の技術は脈々と〝味美なり″の伝統を生かしつづけている。

ハマグリを焼くにはコツがある。砂をはかせたあとは、海水ぐらいの塩水にいかしておき、焼くときもそのまま引きあげて火にかけ、不必要な味つけはしない。焼く直前に、上下の貝殻を結ぶチョウツガイの部分を切り離しておく。こうすると、貝は口があけられず、殻の中でむれたおいしい汁がふきこぼれないし、その汁で火が消える、といった失敗もない。

揖斐川の新しいシンボル「河口堰」(提供・桑名市)揖斐川の新しいシンボル「河口堰」(提供・桑名市) 空腹感がいきなり襲ってきた。そろそろ、お目当てのうどん屋「歌行燈」へ行くとするか。と、あたりがいきなり、ポッと明るくなった。白壁に黒瓦をいただいた城郭の一部と思われる建物がライトアップされて、浮かび上がったのである。蟠龍櫓。水を司る聖獣である竜が、天に向かって昇る前のうずくまった姿をモチーフして名づけられ、日没とともに、河畔を賑わす瞬間に、はからずも遭遇できたわけである。あわててカメラのシャッターを捺す。モニターで確認すると、それなりの雰囲気をおさめることができたようだ。

元船着き場のそのあたりは、創業100年をこす、料理旅館や割烹店が軒を連ねている。船津屋、山月、みなとや…。その一隅に、目指す「歌行燈」と古典的なデザインの文字をあしらった行燈形の看板が見える。やっとたどり着いたか。そんな思いを確かめながら、その店の暖簾をくぐり、どっしりとガラスをはめ込んだ引き戸に手をかけた。

湯気の立ち込めた店内。どうやら、時間からいっても、予約しておかないと、かなり待たされるのを、覚悟しなければならないようだった。この朝、JR岡崎駅で別れたS君と、名古屋で合流する約束さえなければ、桑名でゆっくりと時間をかけていたかったが、「歌行燈」はあきらめて、旅の帰り道にS君と改めて立ち寄ることにしようか。
 念のため、出迎えてくれた和服の女性(女将らしかった)に事情を説明し、ハマグリだけの単品注文ができるかどうかを問う。

「陶板焼のハマグリなら…」
笑顔と一緒に、うれしい答えが返ってきた。間口の割に奥行のある店構え。その奥まったあたりの席に案内された。
ほどなく、ひと目で万古焼とわかる上品な器というか、平たい、乳白色の土鍋が目の前に置かれ、蓋がとられた。見事というほかないほどの大振りで、蒸し焼きされたばかりのハマグリ。湯気の鎮まったところで、目でその数をカウントしてしまう。九つ。それに緑色の松葉がそっと添えられている。
「昔は松毬(まつかさ)でハマグリを焼いたそうで、そのことは泉鏡花の小説にも書かれています。当店では蒸し焼きにして召し上がっていただきますが、この松葉で旧き日をしのんでいただければという想いをこめております…」
 ハマグリから出たダシも自慢だという。箸でハマグリを口に運ぶ。おおっ! 思わず声を洩らしてしまった。次に貝殻に残された出汁を、チュウとやる。いつしか旅情にひたって、満足してしまう。ふと、気付いた。寺尾さんは釜揚げウドンと時雨ハマグリのことは書いているが、焼きハマグリを召し上がった様子はなかった、と。
 陶板焼きハマグリ、1,050円。ちなみに焼きハマグリ御膳は陶板焼きと、釜揚げうどん、てんぷら、茶碗蒸し、シソご飯などがセットされて、2,415円。
 この次は、ゆっくりとそちらを賞味させていただこう。









旧東海道宿場の船着き場「七里の渡し」の石碑旧東海道宿場の船着き場「七里の渡し」の石碑
夕闇に包まれた「一の鳥居」のあたり夕闇に包まれた「一の鳥居」のあたり

桑名城の前衛基地として築かれた「蟠龍櫓」桑名城の前衛基地として築かれた「蟠龍櫓」

泉鏡花の小説の舞台となったうどん屋「歌行燈」泉鏡花の小説の舞台となったうどん屋「歌行燈」
陶板焼ハマグリ 添えられた松葉に風情がある陶板焼ハマグリ 添えられた松葉に風情がある