歴史散歩道[第1弾]江戸深川情緒の研究 「深川情調」か、「深川情緒」か

「深川情調」か、「深川情緒」か



 いまの江東区の前身である深川区が東京府の旧15区の一つとして発足したのが明治11年(1878)で、このあと昭和7年(1932)になってから、東に隣接する南葛飾郡の城東地区が城東区に格上げされ、昭和22年深川区と城東区が一つになって、江東区がうまれた。したがって、関東大震災によってそれまでの編纂作業のほとんどを失いながら、大正15年(1925)3月に完成した『深川区史 上下二巻』は、昭和32年12月に、新しく『江東区史』が編纂されたときには、総論にあたる上巻は、そのまま継承されたものの、その下巻にあたる『深川情調の研究』は含まれなかったのである。
永代橋から深川入りして最初の運河の光景永代橋から深川入りして最初の運河の光景
 後年、旧深川区史は入手困難になる。古書店でも、すぐに高額な値がつけられ右から左に売買されたという。その稀覯本としての価値は、下巻にあたる『深川情調の研究』にかかっていたことから、復刻を望む声が高まった、とのちの『江東区史』執筆者の一人である高梨輝憲氏が解説している。

 こうして、昭和46年5月に『深川情調の研究』は『江戸深川情緒の研究』と改題して、有峰書店から復刻され、さらに平成12年12月に有峰書店新社より重版が発行された。その際にタイトルの一部が「情調」から「情緒」へ、さらに「深川」を「江戸深川」と変更される。当時の編集者の工夫はうかがえるとしても、それは著者である西村眞次教授の意図したものではなかった。なぜなら、昭和18年(1943)に64歳で物故されているからである。

「情調」と「情緒」。同じようで、どこかが微妙に違う。ちなみに「大辞林」(三省堂)には――。
  情調……①その物のかもし出す雰囲気。心にしみる趣。②感覚に伴って起こるさまざまな感情、喜び、悲しみなどの気持。
  情緒……①人にある感慨をもよおさせる、その物の独特の味わい。「――のある風景」「江戸――」

 とある。さらに「日本語大辞典」(講談社)によれば、同じような表現のあとに、なるほど、と思える英語が添えてある。

  情調……①おもむき、気分。mood。②感覚にともなって起こる感情。sentiments。
  情緒……①事にふれて起こる、さまざまの思い、また、それらを生じさせる雰囲気。emotion。

「情調」か、それとも「情緒」がぴったりするのか。それはこのあとの「西村ゼミ」を消化し、足跡をたどったうえで、改めて問うこととしたいが、それまでの予備知識として、恐らく復刻版での「深川情緒」採用を助言したと思われる高梨輝憲氏の、深川についての興味ある考察を紹介したい。     

もはや「深川情緒」は失われたのか
広重の描く「辰巳芸者」が街角をショーアップ広重の描く「辰巳芸者」が街角をショーアップ永代橋越しに深川新地の火の見櫓が見える(国立国会図書館所蔵)永代橋越しに深川新地の火の見櫓が見える(国立国会図書館所蔵) 現代の人はあまり用いない言葉であるが、むかしは、深川のことを辰巳といった。その意味は、深川は江戸城の辰巳の方角(東南)にあたるからである。その辰巳を代表するものに櫓下(やぐらした)十二軒の芸者がいた。櫓下というのは現在の江東区富岡一丁目の一部で、江戸時代、そこに火の見櫓があり、その櫓の下に十二軒(実数ではない)の芸者の置屋が軒を並べていたので、そこの芸者を俗に櫓下の芸者といい、ここの芸者は客席に侍るときに、着ていた羽織をあえて脱がないことを一種の誇りとしていたので、またの名を『深川の羽織芸者』ともいわれていた。このようなことも辰巳を代表する深川芸者の心意気として、高く評価されたものであった。
 また、もう一つ辰巳を代表するものに『イナセ』とか『キャン』とかという成語を持って呼ばれた一種の風俗があった。(中略)どのようなものを指していうのであろうか、いま、事例を挙げてそれを説明するならば、歌舞伎で演ずる『お祭佐七』のような身ごしらえした男を『イナセ』といい、人のために引きうけたらとことん面倒をみようとする達引(たてひき)のつよい、しかも『ガサツ』なところを憶面もなく人前であらわす女を『キャン』というのである。ゆえに『イナセ』は粋(いき)に通じ、『キャン』は侠気に通じ、さらに『イナセ』は男性であり、『キャン』は女性であることに、その言葉の存在意義があったのである。このように深川には、そこで育まれ、発達した独特の風俗や人情をもとにした一種の情緒があった。それがいわゆる深川情緒である。

永代2丁目交差点歩道橋の支えに嵌めこまれた「深川祭」モニュメント永代2丁目交差点歩道橋の支えに嵌めこまれた「深川祭」モニュメント とはいいながら、深川で生まれ、深川で半生以上を過ごした高梨氏は、近年の深川に関して、その満たされない気持ちを隠さない。大正時代から昭和の初めまでは、深川にはまだ旧時代の風俗や人情があった。ところが最近の深川はどこを探っても、そのようなものは見られなくなった、と。この想いは、「深川情緒の研究」が復刻される折のもので、それからさらに、40年近い歳月が流れている。はたして、いまはどうなのか。地元江東区は文化観光課を中心に、深川の歴史文化遺産の守っていく活動に力をそそいでいるのが、現地に足を運ぶと、よくわかるはずだ。その辺の新しい事情も、これからのテーマの一つとしよう。






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