歴史散歩道[第1弾]江戸深川情緒の研究 東京メトロ東西線「茅場町」からスタート

東京メトロ東西線「茅場町」からスタート 

 4月なかばの日曜日の朝。気軽なウォーキングのつもりで、東京メトロ東西線茅場町駅の出口「4b」から地上に出た。休日とあって、証券街は眠ったままだった。人通りもなく、車の往来もまばらである。永代通り北側の舗道をまっすぐ、東へ進んで、深川方向をめざす。地図もガイドブックも、意図的に持ってこなかった。目に映るものを頼りに、足の赴くまま、今の深川を味わって見るつもりだった。

霊岸橋霊岸橋の下を亀島川が流れ日本橋水門にぶつかる
日本橋水門日本橋水門

「霊岸橋」と名付けられた小ぶりな橋が、まず目についた。親柱に張られた金属板に、肉太の楷書で刻み込まれた橋の名前に記憶がある。下を流れるのが亀島川で、高潮時にだけ稼働する水門の向うが、本流の日本橋川というわけだ。すると、このあたりは、古くは「霊巌島」とも呼ばれた浮き洲の後裔で、江戸幕府指定の商業地区となり、上方から廻船される酒や米を扱う問屋でにぎわった時代もあったときく。

 すり寄るようにして、目の前で都営バスがとまった。「永代橋」のバス停であった。行き先は「深川門前仲町」を経由して「錦糸町駅前」とある。始発は「東京駅丸の内北口」。そうか、この次は、東京駅からバスに乗ってみよう。

 1キロも歩いていないのに、最初の目的地である「永代橋」はもうすぐだった。道が橋の中心に向かって、もっこりと盛り上がり始めているのが、妙に新鮮な光景に感じられた。それに、こうやって橋そのものの造りを見つめるのははじめてだ。歩道を両脇に用意して、橋の中央を上下あわせて5本に仕切られた自動車専用レーンが走る。状況によって中央の1車線を上り下りに振り分けられるよう、〇とⅩのランプが、恐竜の背骨を連想させる鉄骨アーチに組み込まれている。

 このまま、橋を渡ってしまうのはもったいない。いったん川べりに降りて、横から永代橋を眺めてみたくなった。すると、橋のたもとに大理石の柱があり、なにやら説明用のプレートが2枚、誇らしげに埋め込まれてあるのと、そこから下りの石段が川岸へ向かって用意されているのに、気づく。

「土木学会選奨土木遺産 帝都を飾るツイン・ゲイト(永代橋)」と、上にあるプレートに彫りこまれてある。下がその選奨理由であった。永代橋とその上流にある清洲橋を格調高く、簡潔に説明してあるので、そのまま写しとると――

  • 「復興は橋より」、これが関東大震災後の復興事業の合言葉でした。帝都を代表する隅田川の入り口にあたる第一、第二橋梁は、筋骨隆々とした男性的なイメージ(永代橋)と優美な下垂曲線を描く女性的なイメージ(清洲橋)で演出されました。
  •  これに加えて土木学会では、次のような理由から永代橋と清洲橋をワンセットにして、第一回選奨土木遺産に選定しました。


●二つの橋は、近代橋梁技術の粋をあつめてつくられた震災復興橋梁群の中心的存在である。
●永代橋は、わが国ではじめてスパン100mをこえた橋であり、しかも現存最古のタイド・アーチ橋である。

顕彰碑永代橋西詰にある「顕彰碑」
隅田川テラス隅田川テラスは下流の佃・月島方向につながっている