歴史散歩道[第1弾]江戸深川情緒の研究 プロローグ 隅田川・永代橋へ

プロローグ 隅田川・永代橋へ 

 この1冊の本に導かれて、自分の足で、ともかく永代橋を渡ってみよう、と思い立った。本書の「緒言」を読んでもらうと、その浮き立つ気分は理解していただけるはずだ。なにしろ大正期最後の年の出版だから、当然、かつてむさぼり読んだ文庫本の翻訳小説がそうであったように、旧仮名遣い、旧字体の世界である。それを今様に修正し、装飾過多な部分を削らせていただくこととした。

アーサー・シモンズという19世紀末を代表したイギリスの象徴派作家が、ミラノからベネチア(ベニス)に汽車で入った最後の10分間の印象を、『イタリアの都市』にこう描いている、と紹介することから書き出している

――両側は水であった。水のほか何物もなく、それは薄暮の蒼い光のなかにかすかに横たわっていた。(中略)揺曳する(ゆらゆらと揺れる、という意味か)一線が、黒い船やロープとともに水平線に現れ、さながら島のようだった。(中略)闇のなかにひとつずつ灯影がひらめき、一棟の大きな倉庫が溶鉱炉のように輝きつつ、水平からすっくと立っているのが見えた。私たちはもうベネチアに入っていたのだ。

隅田川と永代橋ライトアップ隅田川と永代橋ライトアップ

永代橋バスの車窓から眺める永代橋

 この一節は電車で永代橋を渡って、深川へ入ってゆく時の私(下巻は責任監修者・西村眞次執筆=早稲田大学文学部教授、早稲田史学創始者のひとり)の感じを代弁してくれるように思われる。(中略)あの永い永代橋で夜の大川を過ぎる時、対岸に灯火がきらめき、大きな倉庫の壁が闇にくっきり白く見え、黒い水の上をさらに黒い船が幾艘となく航行しているのが、夢のように幽かに憧憬の眼に映ずる。もう永代橋が尽きようとする時、私は夏でも冷やりとした感じに打たれる。

 筆者は、江戸下町・深川入りの印象をつづける。

 電車の線路に沿うて黒江町へ出ると、夜店の灯りがしめっぽい空中に反映して、うっとりとした光を街の上にたゆたわせている下で、ハマグリやシジミ、サザエを売っているのを見るとき、湯気の立つ白飯の上にむきみ貝をもった深川飯をその看板の陰に見る時、竹を植えた格子造りの小さい家に、蒲焼、柳川鍋の行燈がかかっているのを見る時、抜き衣紋の片肩を低くしてしゃならしゃならと歩く櫛巻きの女を見る時、私はここがやっぱり東京の中であるかを疑った。私は深川をどうしても東京のように感じない。そこを独立した、東京以外の、どこにも属していない一水都のように思えてならない。

 著名な文化人類学者・西村教授は、このときばかりは詩人となっている。「私のこの感じが深川の生命である」といい切るのだ。

 そのころから、1世紀近い歳月が流れ、加えて東京大空襲という悲惨な洗礼を受け、一度は焦土と化した深川に、そのころの面影を求めることができるのだろうか。

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