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ネジ屋はでんき屋になれ!

EVづくりでわかった 中小企業でも狙えるフェラーリ的ビジネス
恵庭 饗 著

本書プロローグ2015

ネジ屋はでんき屋になれ! 2010年、電気自動車(EV)時代の到来と叫ばれ、EVが自動車の主流化となることを誰もが期待した。
 自動車ユーザーたちがこのEVに期待した背景は、リーマンショック直前に起きた「原油高」によるガソリンの高騰にあった。1ℓレギュラーガソリンで160円超、ピーク時には180円という高騰ぶりに、都会のユーザーたちは悲鳴を上げた。マイカーを売却する者が急増、自転車ツーキニストなる言葉を生み出したのがこの年だった。加えて燃費の悪いクルマは悪のようなイメージを植えつけた年でもあった。
 だが、その期待に応えたかのように登場した国内メーカー初のEV(コンバートEV)三菱アイミーブは、自動車の主流をEVに変えるには到底至らなかった。その後、日産がEV専用モデルとしてリーフを登場させるものの、合弁会社で作ったリチウムイオン電池は在庫の山となるなど、これも成功したとはとても言い切れなかった。東日本大震災という空前の災害に遭い、燃料の供給が寸断される事態があっても、EVは電力の補助としての利用ができる利便性をもってしてまでも、ユーザーの食指は動かず、チェンジ・ザ・ゲームとはならなかったのである。
 この時点で成功に導けなかった理由は多岐にわたる。その答えはとても複雑である。価格、充電インフラ、そして一回の充電での航続可能距離…。さらにはEVの台頭は国内自動車メーカーの系列崩壊危機を招く、あるいは税の徴収力が減少するなどなど…。ようするにあらゆる角度から内燃機関を保有するクルマとの利便性の差は、この時点では大きかったわけである。
 本書が発売されたのは2012年7月。著者はスズキエブリィをベースにしたコンバートEV製作に関わり、自動車を動かすためのリチウムイオン電池の性能レベルとそのコントロールの難しさを体験する。モーターでクルマが動けば加速、トルクとも内燃機関の比ではない性能を秘めていることを知りつつも、そのモーターを持続的に動かすためのエネルギー量、つまり航続可能距離がすべてであることに気づかされる。
 が、可能性がないわけではない。いずれ自動車はプラグインハイブリッド、燃料電池車そしてEVにとって代わる時代がやって来る。その時にEVが覇権を取れるには何が必要か。本書はそれを言い切っている。

はじめに

 もう自動車についての原稿を書くことはないと思っていた。

 その理由は、自動車はグローバルの視点では成長産業だが、国内は補助金頼りの斜陽産業である現実からだ。その思いを裏づけるものとして、文化あるいはエンターテイメントとして自動車を伝えてきた自動車雑誌をはじめとする関連メディアが、目を覆いたくなるほど部数減少している惨状にある。自動車関連アフターパーツ市場の縮小や衰退からも、この業界に未来の光を感じることができなくなっていた。
 かつてボクは数々の自動車雑誌や動画をプロデュースし、編集と執筆をしてきた。が、その制作意欲は市場縮小とともに薄れ、同時に寄稿する媒体を失っていった。

 ボクはペンネームを変えた。書き手として自動車という最大の得意分野と決別するためだった。
 しかしリーマンショックという百年に一度といわしめた出来事からその事情は変わった。通常、このようなリセッションが起きると経済は衰退もしくは停滞し、自社の生き残りをかけた保身に舵を切る。もちろん、自動車メーカーもそれを行なわなかったわけではない。しかし自動車産業全体では、次世代自動車開発に舵を切ることを加速させ、さらなる資金を投入していったのだ。
 「戦略的陳腐化」を源泉に成長してきた自動車業界が、最大の宝としてきた「エンジン」という動力装置を、みずからの手で陳腐化させはじめる。ボクはここに強いイノベーションを感じた。それはまさに本物の生き残り戦争、いうならば「自動車革命」へ突入したことを意味していたのだ。トヨタ、ホンダによるハイブリッドカー競争で幕を開けた脱化石燃料化への道は、さらなる進化の競争をはじめていく。ボクはここにもの凄い好奇心が湧いたのだ。
 2011年は震災、欧州危機、円高、タイの洪水被害と世界経済への影響が懸念される事象が重なるように起きた。そしてこの背景が国内の自動車産業界をさらなる空洞化へと導く。国内景気が依然として底上げできないこともあり、他の業界に比べて補助金などの手厚い支援はあるものの、自動車業界はこのところの環境はよくない。
 そのなかで唯一、明るさを見せたのが2011年の東京モーターショーであった。このモーターショーの来場者数は単に千葉幕張から東京へ会場が移ったからだけでは、その増加を説明することはできない。それは自動車に新しい魅力が感じられた、あるいは「そろそろクルマでも」と考える人たちのバイオリズムが一致したという背景抜きには語れないほどの活況さがあった。
 そしてこのモーターショーで自動車メーカーは、次世代自動車で変わるということを力強く提案していた。それは電気自動車という結論とボクは受け止めた。メーカーはEVに軸足を置くと宣言したように感じたのだ。
 次世代自動車は2002年、トヨタとホンダが政府に提案納入した燃料電池車がその幕開けである。しかしこの2社が燃料電池の型式認定を取得するや、これを主軸とした次世代自動車の開発への投資を増額しなかった。
 世界中の自動車メーカーがその間、そしてその後も燃料電池車をはじめ、バイオエタノール、クリーンディーゼルそしてハイブリッドと次世代の燃料と動力を模索した。が、開発費、社会インフラ、提供価格の視点から、エンジンを抜きにした主軸となる動力の提案には至らなかった。結局は既存の技術をさらに磨く手法が選択され、一部の国を除いてクリーンディーゼルとハイブリッド、超省燃費ガソリンエンジンの提案が現実的と判断された。
 日本ではエコカーの代名詞はハイブリッドカーであろう。が、ハイブリッドカーもエンジン車の延長線上にしかなく、プラグインハイブリッドカーもシボレーボルトもエンジンつき電気自動車でエンジン抜きには語れない。
 世界が求めている次世代自動車は、エネルギーから見直した新しい提案であることが美しい。その近道こそ、ゼロエミッションである電気自動車ではないだろうか。
 ボクはすでに「EVには流れを変える力がある」ことをよく理解してしまった。そのEVの魅力を最初に教えてくれたのは、自動車評論家で日本EVクラブ代表の舘内端氏だ。そしてまだまだ未熟なEVをもっと知ろうと、コンバートEV製作にまで参加してみた。
 「なぜEVなのか」
 この答えをボクは「すべてにおいて端的に表わすことができる提案だから」と解釈している。エコロジーとエコノミーの両立は幻想ではないことを証明する画期的要素を含んでいることが大きい。これについては本書のなかで詳しく述べさせてもらう。

 本書のタイトルは次世代自動車がEVと位置づけるならば、自動車産業界では電気が介在しないメカだけのものづくりでは食えないことを表現した。ネジ(メカ)は機械ものには欠かせないが、もう誰でも提案できるものとなってしまったコモディティ部品である。あるいはネジ(メカ)はEVづくりには将来、必要とされないものになる可能性がある。
 EVは既得権を間違いなく崩壊させる。必要とする部品が従来の自動車づくりに比べて圧倒的に少ないし、EVの現状のウィークポイントは、ネジ屋の発想ではそれを克服するに至らないと考えられる。
 本書では、この自動車革命のなかでも生き抜ける発想のヒントを記してみた。それらが事業として、社会への提案として成り立つかはわからない。が、止まっていては時代の変化に流されてしまうだけである。ダーウィンの進化論でいう「環境の変化に順応する生き残り」のきっかけをつかんでいただければと思う。自動車関連事業をあえて辛口ながらも、応援したいとの考えからである。

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目次

はじめに

[第1章] EVでバブルは引き起こせるか?

若者のクルマ離れという言葉のひとり歩き
EVは日本にバブル経済をもたらす可能性がある乗り物だ
EVは限られた人しか持てない稀少品
EVと住宅の大事な関係
EVはエコカーなのにエコじゃない日本の矛盾
石油とEVの深い関係
リチウムイオン電池のさらなる進化のアイデア募集という現状
電池を磨け! リチウムイオン電池における技術 vs 価格の結末

[第2章] EVづくりをしてわかったビジネスヒント

コンバートEV製作を経験する試み
リチウムイオン電池の限界から見えるもの
軽量化と電池システムの技術向上の交差点が普及のはじまり
EVに変速機がいらないという定説は本当か
タイムラグのあるEV車の運転方法

[第3章] 変化する自動車市場とドライバー

自動車の技術普及のパターンが変わる!
EVは超小型車と5ナンバーサイズを再構築するチャンス
EVは航続可能距離で車格が決まる
どうすればEVは爆発的に普及するのか
EVを育てるために今、自動車メーカーがやるべきサービス
EVレンタカーは商売にならない

[第4章] EVにおいてこのビジネス提案は使える

EVは自動車整備業者の未来をなくす
タミヤ、タカラトミーがEVを量産する日
航続可能距離のカギを握るバッテリーマネジメントシステム
発生熱の対策とどう向き合うか
部品のモジュール化がもたらす勝ち組部品メーカーの共通点
自己完結する次々世代EV
ヤンキー御用達のEVがあるべきだ!
EV用アフターパーツを磨いてディーラーオプションへの採用をめざせ!
マセラティがEVグランドアップに成功する日
EMSならぬEVMSを誰かがやらねばならない

あとがき

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[第1章] EVでバブルは引き起こせるか?

若者のクルマ離れという言葉のひとり歩き

 高級セダンはいつの時代でもステータスシンボルだった。
 「いつかはクラウン」というキャッチコピーが心に刺さった1983年は、日本の自動車業界にとって特別な年であった。それは道路運送車両法の改正にある。
 この年の6月、新車はそれまでの2年車検から3年車検となり、さらに違法とされていたドアミラー化が解禁となった。ボンネットタイプの日本車はフェンダーミラーが義務化されていて、クルマのトータルデザインを損なわせていた。それが欧米車と同じドアミラー化ができることとなり、自動車の魅力のひとつであるデザイン性が向上したのだ。
 この法改正の意味は自動車業界にとって非常に大きいものであった。3年車検の認可は、それだけ日本車の耐久性が向上したことを表わしていた。さらにドアミラー認可でデザインの自由度が増し、自動車メーカーによる意欲的な取り組みを期待できるようになったからだ。
 60年代から70年代の高度成長は日本にモータリゼーションを引き起こしたといわれているが、じつはこの法改正を契機としたさらなるモータリゼーションの進化のほうが、自動車業界には大きな波であったのだ。
 もうひとつ、このころが特別といわれることがある。それはユーザーの高額な車両価格への抵抗感が薄らいだことだ。
 遡ることその2年前、ハイソカーブームの火つけ役となったソアラがデビュー。その価格は2ドアハードトップにもかかわらずオーバー300万円だった。それまで300万円を超える車両価格のクルマを買うのはごく限られたお金持ちとされていたが、この初代ソアラは大ヒットする。オーバー300万円でも手に入れたいと、お金を出すユーザーの増加で、クルマに対する価値観が変わっていったのである。
 その価値観の変革がその後に起きた日本のバブル経済時代に、自動車を高級化路線へと突っ走らせた。それはバブル崩壊直後もしばらく続いた。高級車こそステータスの象徴と考えたユーザーたちは、もう大衆車への興味を持たなくなっていった。

 21世紀は賢いクルマの時代といわれる。ITバブル以降は自動車の大排気量や高級路線にステータスと感じない世代が台頭しだした。彼らは前世紀の乗り物をまともには評価しない。
 それは彼らにとって「賢い」とは思えない乗り物だからだ。情報通信技術の向上こそ賢いと思い、その所有と利用にステータスを感じていることに総じて間違いはないだろう。
 ではその感性により、若者はクルマから離れていったのだろうか。
 ボクはそう感じてはいない。そうではなく、若者のプライオリティへの考え方が少し変わっただけだと解釈している。
 パソコン、携帯電話をはじめとする情報通信機器の所有と、それらを使ったアミューズメントサービスの利用に対するプライオリティが高くなった、ただそれだけである。
 それがイコール若者のクルマ離れにつながったと考えるのは、いささか浅い考え方といわざるを得ない。
 若者のクルマ離れという言葉の奥にあるものは、収入と将来に対する不安という社会的背景から生まれる「諦め」か「断捨離」なのだ。 
 ボクは老若男女さまざまな企業経営者を見てきた。そこで知ったのは、たとえ若い経営者であっても例にもれず、自分の経営する会社が儲かれば、クルマを買うということだ。それはクルマにまったく興味を持たない若者であってもだ。
 税金を払うのがもったいないと感じたとき、経営者は決まって自動車に関心がいく。なぜなら、自動車は税法上、大きな節税の恩恵をもたらせる効果があるからだ。
 つまり儲かりさえすれば、人はクルマを買うことに興味を持つのは、バブル時代も今も変わらないのである。問題なのは、企業もサラリーマンも、大して儲かっていないという現実である。
 しかし、賢いクルマという位置づけがあれば、人は趣味、思考にかかわらず、手を出してくる可能性はある。
 では、賢さとはなにか。
 それは心底、自分にとって役に立つかどうかだろう。役に立たないものはいらない。そこはデジタルな考え方であってゼロかイチかである。
 この考え方を生産者の立場で考えてみると、これからは「賢い移動の魅力を備えた情報通信機器」という視点が必要となる。
 EVは電気で走るという新しい提案がある。この魅力が情報通信分野とどう融合して提案できるかが、若者のクルマ離れという言葉を死語にできるカギを握る。

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EVは日本にバブル経済をもたらす可能性がある乗り物だ

 1990年前後、なぜ日本はバブル経済となったのだろうか。さまざまな要因が複合して引き起こったことは違いない。消費税の導入、輸出が絶好調なうえ、さらに円高が輸出拡大を後押しした。そしてその儲けが資産、とくに不動産価格の高騰をもたらした。要は日本国民が儲かったのだ。
 そうやって儲かったお金で国民はなにをしたか。それでクルマを買ったのだった。しかも儲かったから、いつもより上級なグレードの車種を選んだ。今後も収入は増えると信じて…。
 ある意味バブル経済は、国民がこぞって高級車を買ったから起こったという見方ができるのだ。
 「国民がクルマを買ったから」
 これは後に通産省(当時)の役人をインタビューしたとき、バブル経済の誕生について尋ねたときの答えでもあった。
 人は儲かれば資産を買う。不動産を買うし、クルマを買うのだ。なぜなら、豊かさをアピールしたいからだ。そしてマクロ経済で見れば、それがGDPを押し上げる効果にもなる。それに資産を形成することは、税の優遇効果も合わせ持つ。
 法人を例にとれば、日本の税制では土地は減価償却しない。相場に合わせて毎年、時価額で計上するだけだ。一方、建物設備や車両運搬具、つまり自動車は資産計上して、耐用年数に合わせて減価償却していく。総額の購入費用は年数をかけて費用(経費)化できるのだ。
 この原理は高額消費を喚起する効果を持つ。儲かればクルマを買って費用化するし、逆に危機が迫れば、売却してキャッシュを得る。儲かり続ければ、買ったクルマを惜しげもなく売却損で除却をして、また新しいクルマを買うことができる。これが税と消費循環のじつにいい関係を生み出している。
 バブル景気は個人、法人に利益をもたらした結果、自動車購入へと導いた。これがバブル経済の起きた本質なのだ。
 今の日本の現状は、とてもこれから先にバブル経済が起きると思える環境にない。しかしこの理論で話をするなら、再びバブル経済が起きるには、クルマが売れなければならないことになる。
 ではクルマが売れるようになるには、どうするか。今の経済状況から考えれば、魅力あるクルマの出現がなければ公的支援で消費喚起するしか方法がない。
 政府はエコカーに対し、リーマンショック後から補助金を出し続けてきた。これに対し、補助金があるからといって、買い替えが促進したかといえば、効果は限定的で、とても手放しに喜べるようなことにはなっていない。なぜなら自動車メーカーは消費者に刺さるクルマの提案ができていないからだ。
 バブル時代の1989年、23%の物品税の廃止、それに代わる3%から6%の消費税導入により、メルセデス・ベンツをはじめとする高嶺の花だった輸入車の価格が大幅に下がる魅力があった。国内メーカーもシーマ、セルシオをはじめとするその時代のニーズにあった食指が動くクルマが登場した。つまり金余りと魅力あるクルマが合致していたのだ。
 そう、このふたつのタイミングが合致しないから、補助金というゲタがあっても売れないのが今の日本なのだ。
 EVにはもう一度、バブルを引き起こせるだけの提案力が潜在的にある。それは環境に優しいという地球規模の安全担保に協力する話より、経済的、ステータス的、危機に対する防衛的に優れている魅力だ。しかし今の市販されているEVには、まだそこまでの力はない。燃料に代わる役割の電気を溜めるための「電池」の進化が未熟であるからだ。
 逆をいえば、電池の価格、EV自体の価格がより大衆的になり、それでいてガソリン車のような航続距離が得られ、補助金がつけば、自動車バブルは必ずくる。
 そうなればスポーツカーからの提案ができる。クルマ好きなマニアへの訴求が肝心だ。イノベーター理論でいうところの「イノベーター」と「アーリーアダプター」への訴求である。
 トヨタは2008年のリーマンショック以来、世間での批判が続いていたが、じつは豊田章夫社長はひそかにこの国内自動車バブルがくることを確信して、行動を指示していたようだ。ボクは2011年の東京モーターショーを見て、その疑念の目が確信に変わった。
 EVの開発そのものに消極的といわれていたトヨタだが、ボクはそんなはずがないと考えていた。トヨタが今、消費者に提案できるのはハイブリッド、プラグインハイブリッドではあるが、ハチロク、スバルのBRZを見て、「これはEVへの本格参戦のための前哨戦」であると思えた。シティコミューターからはじめざるを得ない電池事情はあるものの、きたる電池性能の向上に成功したあかつきには、これらのライトウエイトスポーツのカテゴリーからEVを本格スタートさせると予感している。
 今の時点では、ボクの妄想でしかないが、次なる国内自動車バブルがくることをトヨタも感じているはずである。

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EVは限られた人しか持てない稀少品

 EVはそれまでのエンジン車に比べて、誰でも所有できるクルマとはならない。それは一言でいえば、充電設備に容易にありつける人だけが持てるクルマということだ。まずこれが大前提であり、そのうえでさらにEVが持つ航続可能距離との〝にらめっこ〟が必要だ。つまり自分の使用距離や使用頻度を振り返って、真剣に1日の自動車使用を分析しなくてはならない。
 2009年発売のアイミーブを使って、エンジン車とまったく変わらぬ走行をすると、満充電で走行できる距離は常時エアコンを使用した場合、およそ40㎞から50㎞である。2010年発売のリーフでは同じ条件でおよそ90㎞から100㎞。つまりそれ以上走ると「ガス欠」ならぬ「電欠」を起こす。
 電欠はものすごく恐怖を感じさせるできごとである。これはガス欠の比ではない。電欠へのドキドキ感は、どれだけクルマに親しんだ人でも、一度味わうとその恐怖から心配性になる。なぜなら、携行缶でガソリンを入れれば済むガス欠と違い、復活の処理に相当の時間を費やすからだ。しかもとんでもないところで電欠すれば、すさまじくかっこ悪い。今の充電インフラの事情が頭に入っているからこそ、余計に「やばい」と感じる。
 実際にアイミーブで電欠を体験してみたことがある。1回目は電欠になるとどうなるかと、わざと「亀マーク」がついても、自宅の周辺をしつこく走らせてみた。電欠になっても少々押せば、自宅の電源にありつける距離での、いわば実験だった。
 2回目は自分のエリア外の幹線道路で走行可能距離表示がいきなり10㎞も減り、それでも自分の知る安心エリアまでたどり着こうと走らせたため、本当に電欠してしまった。そして、30分間の「電ドロ」をしてしまったのだ。
 ボクの経験では、東京の板橋区から大田区の羽田空港までは首都高速を使って、アイミーブでたどり着けることがわかった。が、そこからまた板橋区まで戻ることはできない。戻る途中で間違いなく電欠する。
 羽田空港には第2ターミナルP4駐車場に4台分の急速充電設備がある。羽田空港から飛行機で出かけるなら、その間に、この充電設備で充電しておけば帰ることができる。
 ところが単なる羽田空港までの送迎となると、アイミーブは使えない。今までのエンジン車の感覚では、じつに不便を感じるのだ。
 さらにEVは住まいとの密接なつながりが必要となる。容易な充電設備とはすなわち、駐車スペースでコンセントがとれるかどうかである。近所に急速充電設備があるから大丈夫といっても、結局は面倒くさくなり、また毎回充電料を払うことにバカバカしさを感じ、寝ている間に充電する選択肢をとることになるだろう。携帯電話を自宅や会社以外で充電する回数を考えれば、わかることだ。
 そう考えると、EVは充電可能な住まいであるかどうかで、EVを所有できるか否かの選別がある。駐車スペースは自宅近くの平置き集合駐車場で、住まいはマンションの5階という人は、EVの連続的使用はほぼ不可能となる。逆にガレージつきの戸建てに住んでいる人は、容易にコンセントにありつける。
 さらに現実的にいえば、EV1台の所有だけでは、今のところ生活のすべてをまかなうことができない。エンジン車との複数所有が必要だ。一家に2台以上所有している世帯は全世帯のおよそ1/50。50世帯に1世帯しかない。都心部ではそれがもっと少なくなる。
 今後もEVが稀少品であり続ける理由がここにある。逆にEVを所有することは新しい視点のステータス車といえるのだ。
 それでいてEVを所有することは、ランニングコストにおいて経済的恩恵があるのだから、じつに困った価値観を持つクルマである。ステータスだけなら、所有観念を世間に知らしめるだけでいい。しかしセレブリティなだけでなく、コストコンシャスにも長けるクルマであるのが、新しい所有観念となる。
 地球温暖化ガス排出量はゼロであり、燃費もいい。クルマの部品点数から考えれば、故障頻度もエンジン車に比べて圧倒的に少ない。維持費への恩恵が大きい。そして非常用電源としても活用できる。EVはあなどれない存在なのだ。

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EVと住宅の大事な関係

 ボクはリーマンショック直後に家を建てた。猫の額あるいはウサギ小屋のような小さな家だが、居住空間よりもこだわったことがある。「ビルトインガレージ」である。断っておくが、ガレージライフを楽しむためではない。そんな時間もないし、趣味なクルマを持てる金があるはずもない。将来のEV生活のためである。
 が、当時の住宅メーカーはビルトインガレージに対する意識は低かった。それもそのはずである。猫の額ほどの敷地にビルトインガレージをつくると、居住空間がますます狭くなる。住宅メーカーには何度も「駐車場を別に借りたほうがいいのでは」と促された。
 しかしEV時代が到来するときには必要な設備との思いから、ビルトインガレージをつくる決断をした。住宅メーカーの営業マンも、当時はボクが無類のクルマ好きとの認識しかなかったのだろう。
 今の建築基準法ではビルトインガレージには換気口の設置が義務づけられている。一酸化炭素中毒防止のためだ。そのため我が家のガレージも、お世辞にも安いとはいえない価格の換気装置がつけられた。そのうえ、家のなかにガレージをつくると、そこは不動産取得税と固定資産税の対象となる。
 たかだかクルマ1台を置くスペースに、バカバカしい限りの建築費用と税金を支払うわけだから、別に駐車場を借りる、もしくは敷地内に外止めするほうが生活コストははるかに安い。
 ところが我が家の建築中にアイミーブが登場すると、それまでビルトインガレージに対する意識が低かった住宅メーカーの勘の鋭い営業マンが、我が家のむりくりビルトインガレージの意味を理解しはじめた。
 そして2011年の東京モーターショーにはじめて住宅メーカー、住宅関連メーカーが出展した。EVは住宅との関係を無視できない存在だとわかったかのように。
 震災を経験してしまったボクらは、EVのエネルギーを生活に回すことも視野に入れなければなるまい。そこまで考えると、住宅メーカー、住宅関連業界はビルトインガレージの必要性を提案していかなくてはならないだろう。
 そしてその先に容積率の緩和、固定資産税などの免除や軽減といった国をあげての支援の必要性が見えてくる。
 政府はオール電化、太陽光パネルの推進に補助金をつけてきた。しかしながら、震災でオール電化生活の脆弱性、さらには太陽光によるエネルギーでは自給自足の生活を支えられないことが露呈してしまった。
 戸建ての屋根に載っている太陽光だけでは1日の家庭生活を支えることはとてもじゃないができないのだ。しかも蓄電機能をほとんどの家庭が装備していない。
 その役割としてEVが脚光を浴びた。もちろんEVに対しても補助金制度があり、そのおかげでとっても高い乗り物とまではならないで済んでいるのが実情だ。しかしEVはガソリン車と違い、高電圧、高電流を使っている乗り物だ。充電や電力供給をさせるのなら、やはりビルトインガレージが理想だろう。
 つまりEVと住宅をパッケージで考えていく必要性を、これから自動車メーカーと住宅メーカーが一体となって提案していかなければならないのだ。
 そうなると、住宅にも新しい補助が適当となるのではないだろうか。ビルトインガレージは、当然のことながら居住空間を犠牲にする。最低でも8畳間分のスペースをクルマのために用意しなければならない。これは今の日本の住宅事情から考えると、非常に大きい負担だ。
 たとえばこれをEV専用とするならば、容積率を緩和すべきだと思うし、固定資産税や不動産取得税の免除、軽減は必要であろう。 
 住宅と自動車はGDPを押し上げ、消費の循環をよくすることをボクらはバブル経済で学んできた。EVはそのふたつの大きな買い物をパッケージで考えることができるのだから、活性化のための国の支援は欠かせないのだ。

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EVはエコカーなのにエコじゃない日本の矛盾

 震災以降、原発の停止によりEVの存在は複雑化した。ひとつは電力不足でEVが市民の生活を脅かす存在ではないかとの風評である。実際はかなりの台数普及が進んでも、夜間電力による充電比率が高いと想定されるし、充電に対する使用電力も真夏のエアコンフル使用の比ではない。
 そもそもEVは、貯め置きできない電力の特性から、無駄に捨てられる夜間電力の有効利用を考え、エネルギーバランスの最適化を下命され、国をあげて援護されてきた新製品だ。それが震災以降の電力不足で、EVへのあらぬ風評被害が巻き起こった。
 また、EVは従来の自動車が使用する化石燃料からの脱却、CO2削減の旗手であるにもかかわらず、原発の停止により電力会社が火力発電などの稼働を増やすことで、化石燃料をより燃やして、CO2の排出量を増やす矛盾のなかに入ってしまった。差し込むコンセントの先にある、CO2増加のエネルギーを受け取ることとなったのだ。
 するとEV製造現場から充電までトータルで考えると、発電に関しては自己完結する自家発電のエンジン車のエコカーと、どちらがエコかが不明瞭となってしまうわけだ。
 排出ガスはゼロではないが、電力会社からの電力が直接不要で走るクルマと、排出ガスはゼロだが、(今なら)原子力以外の電力の供給を受けないと走れないクルマ。クリーンディーゼルやハイブリッドあるいは超低燃費車のほうが、分がある話も出てくるぐらいだ。
 再生可能エネルギーだけで充電できるなら、EVに分があるが、再生可能エネルギーは割高だし、その発電量で火力を含めた脱化石燃料発電を補うにはほど遠い。
 さらに電気料金がこのままグンと跳ね上がれば、それこそ経済的にもエコではなくなることもあり得る。EVの普及は遠くなってしまうのだ。
 反面、EVは災害時の電源供給源として、「動く発電機」という利便性で脚光を浴びた。アウトプットの電源口をEVにセットするだけで、家電を動かすことや携帯電話の充電ができるので、震災には非常に役立つことが理解された。 
 そしてその経験を生かして、EVに搭載されたリチウムイオン電池を建物内電力に利用できないかという取り組みが進んでいる。それがV2H(Vehicle to Home)である。EVを電力蓄蔵設備として利用することは、米オバマ政権が打ち出した「グリーンニューディール政策」の柱となるスマートグリッドのなかでも、期待されているひとつだ。
 さらにEV利用を進化させたカタチといわれる、EVと電力系統での連系で融通し合うV2G(Vehicle to Grid)も今後期待されている。
 しかしこれが日本の建物電力との折り合いが難しい。電力規格が合わないのだ。また直流を交流へと変換させる装置の問題や、EV側に搭載されたリチウムイオン電池の寿命、走行しない状態の使用による発熱への安全性が確実に担保されてはいない事情もある。
 現在、自動車メーカーをはじめとする日本のEV関連企業のEV事業を推進するCHAdeMO(チャデモ)協議会が電力会社、住宅メーカーを含めて規格統一を進めているが、このような問題点から難航している。
 ただパワーコンディショナーやインバーターの改良と、リチウムイオン電池の安全面での整備が検証され、EVが蓄電エネルギーを直接、建物供給できるようになるのは、そう遠くないだろう。
 しかし総合的見地から、日本の電力不足によるEVが置かれる矛盾を早期解消せねば、日本優位といわれるEV関連の技術力は、他国に抜き去られ、そのまま進化に追いつけない事態となる。それは輸出大国日本の大きな国家損失となって、日本の国力をさらに落としかねない。

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石油とEVの深い関係

 2010年、経済産業省は国内に石油精製設備を持つ石油元売り会社に対して、ある規制を課した。それは重質油分解装置の設備を拠点比率によってある割合で設置するように義務づけるというものである。
 なんのことだかわからない読者がほとんどだろう。じつは国内の石油元売り会社はここ数年、設備過剰状態なのだ。全国27か所にある石油元売り会社の製油所はその生産可能能力に比べ、実際の需要は50%から70%という状態が続いている。
 つまり理論上、7か所以上の製油所がなくとも、今の日本の需要は十分まかなえるということなのだ。
 そのため過剰な設備保有が石油元売り各社での過当競争状態を生んでいる。このまま売上げ至上主義を各社が貫けば、業界全体が共倒れするのではとの憶測がある。その危険性を察知した国が規制をかけて、過剰設備の削減と統廃合を促しはじめたというのが顛末である。
 石油業界の展望としては、2020年には2000年の需要の5割との予測から、事態はかなり深刻であり、今後の製油所の閉鎖や企業合併や統合は避けられないところまできている。
 この背景には燃料革命ともいうべき、脱石油のエネルギー転換の潮流がある。少なくとも自動車業界では間違いなく、エコカーが主流になるし、産業界でも天然ガス、太陽光発電や再生可能エネルギーの活用をしていくことになろう。
 自動車での石油需要が縮小していることは、消費者の立場でもわかりやすいだろう。2000年までは、リッター7㎞も走ることができない高級車セダンは年間10万台市場であった。それが今や年間2万台市場である。その2万台市場ですら、リッター8㎞は走らないと売れない。
 つまり、リッター10㎞も走れないクルマが大半を占めた20世紀から、今やリッター10㎞は当たり前、20㎞走るクルマが大半を占めるようになりつつあるのだから、これだけでも燃料需要が減っていることが実感できる。
 現実、ガソリンスタンドは1994年時の数から3割減少して、全国に4万軒強となっている。そして今後もガソリンスタンドは減少し続けることになる。安売り競争のなれの果てが共倒れとなり、供給インフラを崩壊させてしまえば、自動車生活の利便性を大きく損なう。そのしわ寄せはユーザーにくるのだ。が、これが資本主義の現実であり、需要のバランス作用なのである。

 思えば、EVの開発は石油事情と法規制に密接な関係を持ち合わせた歴史がある。オイルショックの1971年から1976年には、各自動車メーカーが国の石油依存脱却の音頭に乗り、EV開発を試みた。また近年ではカリフォルニアのZEV規制の影響で、さらなるEVの開発を進めた。
 そして2008年のリーマンショック直前の原油高の逆風でEVや低燃費エコカーの開発が加速され、EVはついに市販化された。ステラ、アイミーブ、リーフと自動車メーカーによるEV車が登場したのだ。
 が、過去の歴史は石油供給の安定化がはかられると、EV開発の縮小を招いてきた。それを繰り返してきた歴史であった。
 しかしようやく勇気あるメーカーによる市販化が、尻ごみする自動車業界のEV開発に風穴を開けた。さらに加えれば、震災の影響でボクらはクルマの燃料の入手に苦労をした。もう、メーカーもEV市販化を迷うことはないだろうと期待したいのだが、現実はまだ厳しい。なぜなら、EVはこれぐらいの売れ行きでは儲からないからだ。
 日産のリチウムイオン電池の過剰在庫やグランドアップさせたリーフの開発費を考えれば、次から次へとEVのラインナップを増やそうとの考えがないのは、当然の経営スタンスだろう。まだまだ現実的なハイブリッド車やプラグインハイブリッドが売れるクルマの主流となるからだ。
 自動車メーカーは営利企業だから、儲けなければならない。EV開発より当然、既存技術の応用を続けたほうが儲かるのだ。つまりはエンジン車販売である。それは日本で売れなくとも、新興国でより売れればそれでもいいのだ。
 新興国の自動車市場の成長は確定要素である。つまり世界の自動車保有台数はまだまだ増えるということだ。その売れる市場に軸足を置くのは企業としては当たり前のことだ。
 しかしそうなると、石油は枯渇に向けて加速する。それが原油価格高騰となって跳ね返る。結果、日本は再び原油高に苦しむことになってしまうだろう。
 そのときまでに、日本のメーカーがボクらの自動車生活をEVで守ってくれるのならいいのだが…。

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リチウムイオン電池のさらなる進化のアイデア募集という現状

 2011年はEVの進化にとって進歩と行き詰りの年だった。リーフの登場によって各メーカーがEV開発の速度をあげ、メーカーによるEV開発競争の事実上の幕開けとなった。これはかなりの進歩といえよう。
 一方でリチウムイオン電池開発は行き詰りの様相だった。日本では三洋電機(現パナソニック)のリードがささやかれていたリチウムイオン電池の性能競争は、東芝が一歩リードして、この年を終えたというのがボクの感想だ。
 しかしそれでもEVがガソリン車ユーザーを満足させる性能には至っていない。それどころか、いったんここで開発競争が止まったと感じている。
 じつは電池業界と自動車メーカーはリチウムイオン電池を中心としたEVづくりに対して、さながら異業種からの意見を募集中といった感がある。EVの発展のために、リチウムイオン電池が求められていることはだいたい決まっている。「小さくて、軽くて、丈夫で安全で、常識ある価格帯で、航続距離が長い電池」である。いいかえれば、これが即座に開発できれば、大儲けができる勝者となるのだ。
 EVの航続可能距離は、現在の技術レベルではほぼリチウムイオン電池の搭載量で決まる。より多く積めば、それなりに長く走ることができるのだ。
 仮にEVで500㎞の連続走行をするとなると、相当量の電池を搭載しなければならなくなる。その重さはおよそ1000㎏から1500㎏である。当然、車両重量は2tを超えてしまう。これで量産車をつくることは物理的に不可能だし、販売価格が恐ろしく高いものになる。
 電池の視点だけで見れば、1回の充電で500㎞走行できるクルマを量産化するには、まずは電池を今の半分以下の重量で半分以下のサイズにするか、今の半分の量で航続距離を延ばすしかない。が、現状の技術はすでに行き詰っている。それは今の考え方ではすぐにできない相談なのだ。
 リチウムイオン電池のあるべき将来像を語るとき、多くの関係者は口を揃えたように「1㎏当たり10㎞走行」という。
 つまり500㎞を航続可能距離とするならば、50㎏分のリチウムイオン電池の搭載が理想というわけだ。今の の重量まで鍛えようというのだ。とてつもない目標である。
 これを少しでも回避するため、今のリチウムイオン電池を使ってできることから考えたメーカーがある。テスラモータースである。同社は電池の効率性に視点を置き、今の技術で製品化されたリチウムイオン電池をいかに効率的に組み上げられるかで勝負に出ている。つまりはBMS(バッテリーマネジメントシステム)とリチウムイオン電池の制御システムの効率性を実現させ、省電化をはかった。トヨタがその電池のエネルギー効率の技術力に注目し、出資したことは周知のとおりである。
 そういうわけで、リチウムイオン電池の軽量化、性能向上あるいはEV全体から考える電池の効率性に関しては、そのアイデアを広く募集していると考えていいだろう。これが、EVづくりが異業種参入の門戸を開けているといわれるゆえんだ。
 今の時点では、ほとんどの自動車メーカーがEVをシティユースによるコミューターとして位置づけているのは、この理由からであり、それでもガソリン車感覚で走れば、あっという間の充電を要してしまうのだ。
 トヨタやホンダが本格的EV時代の前にプラグインハイブリッドが主流となると考えているのはこの点に尽きるのだ。
 しかしリチウムイオン電池の性能が向上し、ガソリン車ユーザーが80点以上の点数をつける航続可能距離となる未来は、いずれ必ずくる。誰かがこの問題を必ずや解決してしまうだろう。
 ただ、今の時点では誰も解決することができない。そう考えたとき、このことを少しでも前進させることができるのなら、次世代自動車事業で相当の時間、飯を食うことができるのだ。

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電池を磨け! リチウムイオン電池における技術 vs 価格の結末

 2012年はトヨタ、ホンダ、フォード、ダイムラーをはじめとする大手自動車メーカーからEV市販車のラインナップが出揃う年。これをもって「EV元年」との呼び声も高い。先行する通称〝漢字メーカー〟の三菱、日産が受けて立つ格好となる。
 当然、EVでの重要機能部品である車載用リチウムイオン電池メーカーでも、自動車メーカーでの採用がさらに熾烈化する。
 リチウムイオン電池の応用は無限大の可能性がある。なにもEVだけではない。街灯や公共物などの社会インフラをはじめ、家庭や企業での定置型蓄電システムでの利用も視野に入る。それがわかっているから経産省が蓄電池戦略プロジェクトチームを設置したり、蓄電池議連が発足したりと、国をあげて応援体制が整いつつある。
 このリチウムイオン電池の発明と発展は、人々の生活を変えてきた。スマートフォンが使えるのも、タブレット型PCが登場したのも、この電池の存在が大きい。長持ちで省電のための技術は、より利便性高い生活に変える力があるのだ。
 10年前、リチウムイオン電池での市場優位性は日本企業にあった。が、それが韓国企業の席巻で一転する。サムスン、LG化学の存在だ。事実、パソコンや携帯電話などに使われる小型のリチウムイオン電池では、日本勢はもはやかなりの劣勢に立たされている。
 なぜか。韓国勢のコスト競争力にかなわないからだ。かなわない要因は複数ある。円高、ウォン安という現状の為替問題、リバースエンジニアリングでの製品づくり、国策支援や日本人技術者のヘッドハンティングなどがそれに当たる。
 しかし一番要素として大きいのは、日本製に対して徹底したコスト優位性での差別化だろう。それは日本製に比べ、品質8割価格5割といわれるモノづくり手法にある。
 これを車載用や住宅、産業用に普及が期待される中大型のリチウムイオン電池で考えると、さらなる脅威がある。
 電池の寿命という視点で検証してみると、ほんの数年前までEV用のリチウムイオン電池における可能充電回数はおよそ1千回であった。1千回が市販に耐えうる最先端の技術であったわけだ。
 これは毎日充電すると、およそ3年で性能寿命がくることになり、自動車でいえば1回目の車検で電池交換が必要となる製品を意味する。当然、この性能でEVの市販車が売れるはずもなく、大きな改良の余地を残していた。
 ところが現在、日本勢のリチウムイオン電池の可能充電回数は市販レベルで6千回超である。電池の性能寿命は、毎日充電してもおよそ16年超使える計算になる。日本の技術の進歩が高寿命をもたらしたのだ。
 もちろん今の時点で自動車の耐用年数に16年は必要ない。というより、電池の寿命よりクルマの車体や足回りが先にイカれてしまうこととなる。
 車体がイカれてしまったEVから電池を取り出し、産業用へとリサイクルしていく考え方もあるだろうが、EVが本格的な普及レベルになれば、その発想をビジネス化できる可能性は低いであろう。
 では、クルマの想定寿命に合わせて考えてみれば、可能充電回数は4千回で十分となる。つまり最先端電池の7割から8割の性能で、価格が5割となれば、優位性が増すということになる。
 もちろん車載用リチウムイオン電池の性能は、この充電可能回数だけが判断材料ではなく、安全性を含めた総合的な見方が必要となる。つまり、現時点でのリチウムイオン電池より、圧倒的な技術優位性を持つ電池が開発されない限り、コスト競争力が販売優位性を持つのが現実なのだ。
 そしてユーザーにしてみれば、自動車メーカーの製品を買うわけであって、決して搭載しているリチウムイオン電池メーカーでEVを選ぶことはない。それよりもいかに価格の魅力で消費者を引きつけるかが、今のEVに課せられた役目なのだ。
 なぜならEVはガソリン車より、あっという間にコモディティ化していかなくてはならないからだ。
 より早くEVが当たり前の社会にならなければ、エネルギー問題や環境問題の解決への道筋を立てられず、さらに生活コストのメリットも享受されない。
 ボクらはエコロジーとエコノミーの両立という理想に、早くたどり着きたいのだ。

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[第2章] EVづくりをしてわかったビジネスヒント

コンバートEV製作を経験する試み

 ここで断っておくが、ボクは自動車評論家ではない。自動車雑誌をつくっているときも、新車のインプレッションをほとんどしたことがないし、新車のプレス発表会に出向いたことも、数回程度である(もっとも招待されることがほとんどなかっただけだが)。ボクはどちらかというと、自動車雑誌業界でいう〝川向こうの自動車雑誌〟をつくっていた。 
 川向こうと呼ばれる雑誌とは、新車関連とレース関連以外の自動車娯楽誌。いわゆる改造車がたくさん掲載される雑誌をさす。ヤンキー色がどうしても出てしまう自動車誌なため、自動車メーカーとおつき合いのある自動車誌の方々から、こう呼ばれていたのだ。
 その代わり、乗った感想だけでそのクルマを評価する自動車とのつき合い方はしてこなかった。イジることでもトコトンつき合い、そのクルマ特有の不具合に対する改善パーツもつくってきた。おかげで自動車工学とメカには相当強くなれた。
 その過去の経験を生かして、ボクは東京板橋区の整備業者22社の有志で設立した「板橋EVクラブ」によるスズキエブリィ(DA64型)をベースにしたコンバートEVの製作に密着取材し、クルマづくりを体験した。これもある意味、〝改造〟だから、食指が動いたのである。

 EV化の素材はEVパーツの販売をしているコスモウェーブ社が提供しているものを採用した。メーカー市販車同様、リチウムイオン電池を動力源にモーターを動かす方式のものである。
 エンジンを降ろすことからはじめて、国土交通省と電気自動車普及協議会の推奨する新ガイドラインに沿って、安全性の担保を考慮しながらナンバーを取得するまで、およそ5人の整備士と一緒に製作時間にして70時間以上。電気回りの設計図作成や、その他個別にメンバーが関わった時間を考えると、100時間をゆうに超えた。
 さらに総製作費は材料費だけでおよそ200万円かかった。人件費を標準の時間工賃(アワーレート)で算出すると、そこにさらに70万円のコストがかかることになる。
 つまり中古のスズキエブリィの過走行車を30万円で購入できたとしても、トータル300万円かかることになるのだ。リチウムイオン電池だけの費用でおよそ3割から4割を占め、人件費が2割である。これで1回の充電で実用域航続可能距離はおよそ60㎞。さて300万円で中古のそれも過走行のエブリィを使ったコンバートEVを誰が購入してくれるだろうか。
 ちなみに同型エブリィの新車のガソリン車は100万円で買える。実走行でガソリン1リットル当たり12㎞走る。全国どこにでもあるガソリンスタンドで、わずか3分で給油でき、ガス欠まで300㎞近く延々と走ることができる。
 さらにミニキャブミーブならEVであるにもかかわらず、補助金を入れると手出しは高いグレードで190万円前後。それでガソリン車と変わらぬ運転で、実用域走行90㎞(16・0kwhタイプ)走れるのだ。今の時点でどちらが経済的かは明白だろう。現状のコンバートEVは趣味の世界を超えて存在することはないのだ。
 一方で練馬区を中心とした東京都整備振興会下部組織である若手の会も板橋EVクラブと同時期、コンバートEVの製作を専門業者に依頼した。こちらはOZコーポレーションのEVキットを使って、鉛バッテリーで電気を供給する方法で、およそ80万円の材料費でEV化されている。航続距離は1充電およそ40㎞。ただしリチウムイオン電池に比べて、電池の寿命が短いデメリットがある。毎日使用すれば、およそ2年で電池に寿命がくる。
 さてこれだとどうだろう。うまくすれば、コンバートEVでビジネスマーケットが生まれるかもしれない。エンジンをダメにしたクルマをターゲットに、あるいは旧車ファンをターゲットにできることも考えられる。
 総じてコンバートEVが大きなマーケットに発展するには、リチウムイオン電池の性能と価格、それに製作工程の大幅削減が実現しなければ成立しないだろう。 しかも派手にコンバートEVを製作販売すれば、国土交通省も安全性の担保について、警鐘を鳴らしてくる可能性も否定できない。国から「衝突安全テストデータを開示せよ」といわれたあかつきには、データ収集のコストが莫大にかかる。しかも販売保証も取りつける義務が発生し、大がかりなビジネスを余儀なくされるのだ。
 EV化で新しい自動車メーカーが数多く生まれる期待の声があるが、現実はテスラモータース同様、大規模な設備投資が必要となり、莫大な資本がいる。ゴルフクラブの「地クラブメーカー」ならぬ、「地域自動車メーカー」の発想は高みにおける目標としてすばらしいが、一方で非現実的な側面があるのだ。
 では、町工場や中小企業あるいは異業種から、EV産業への参入はまったくできないかといえば、そうでもないこともEV製作を通じて理解できた。自動車づくりはEV化が進んでも、今の既存メーカーだけに許されたものでもないのだ。

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リチウムイオン電池の限界から見えるもの

 リチウムイオン電池の製造に関わる技術者に、リチウムイオン電池の現状と展望を聞いたところ、その進化はこのところいったん止まってしまったという。リチウムイオン電池の小型化はまだまだできたとしても、リチウムイオン電池の性能、とくに航続可能距離を飛躍的に延ばせる技術は一時的とはいえ、限界にきているというのだ。
 三菱の市販車アイミーブの2009年モデルに搭載されていたリチウムイオン電池はGSユアサ製オンリーであった。その2年後に発売されたミニキャブミーブではGSユアサ製に加えて、廉価版に東芝製を搭載している。
 乗った感覚でいえば、この2年でリチウムイオン電池は進化したと感じる。明らかに初期のものより、航続可能距離は上がっていると感じるのだ。
 しかしながら、ユーザーレベルで飛躍的に延びたとまでは至っていない。進歩は確実にあるが、飛躍的とまではいかないのは、総じてなにが足りないのだろうか。
 それはまったく違う視点からの発想が入ってこないことによる限界ではないかとボクはとらえている。知と技術の結集を自動車メーカーは系列内での自前主義でやろうとする。大学の研究者と産学共同のプロジェクトの存在こそあるが、それでも一方通行になりやすいデメリットがあると感じる。
 自動車をはじめとする製品のすべては、費用対効果のバランスのうえで成り立っている。航続可能距離だけでいえば、リチウムイオン電池を積めるだけ積んでしまえば、1回の充電で500㎞以上走ることができる。これは日本EVクラブがミラEVで東京大阪間555㎞を走り切ったことで証明されている。
 ただし、このミラEVは当時、搭載したリチウムイオン電池の総費用がおよそ1千万円と聞いた。ミラという軽自動車に1千万円以上支払う需要があるかといえば、まず考えられないだろう。しかも総重量が1・5t超となるから、このミラEVの運動性能は相当損なわれる。どの視点から考えても、売り物にはならないし、市販車としては非現実的となる。
 だから電池の性能を上げて、より少量の電池の搭載でユーザーの妥協点を見つけられる航続可能距離を、早急に確保する必要がある。つまりリチウムイオン電池の技術向上が止まってしまっているのなら、その性能を飛躍的に向上できる違った視点が求められているわけだ。
 こういった知恵と発想を持った人材は、日本人のなかに必ずいるはずである。ただ、この関連の開発に携わっていないだけなのだ。その発掘も同時に必要だろう。
 テスラモータースのテスラロードスターはパナソニック製のパソコン用リチウムイオン電池18650を使用して、EVを量産している。他メーカーのEVに比べて、航続可能距離を確保していることが注目されている。その違いは電池の制御方法にあるといわれている。当然、電池自体はパナソニック製であるから、同じものを積めば性能は同じである。別の視点つまり、その電池の能力を制御システムでコントロールすることで、航続距離の差別化ができているのだ。テスラモータースはこの制御方法がじつにうまいのだ。

 制御とは一体、どういうものなのか。板橋EVクラブによるコンバートEVの製作で、その意味から考えたことは、モーターを常時回さないことであった。回し続ければその分、電気を使い、航続可能距離を減らしてしまう結果を招く。それを信号待ちや渋滞などにモーターを止めてやることで、省電化がはかれる。それをどうやって制御するか検討するのが大変だった。なぜなら自動車の走るスムーズさを損なわずに、どうやって制御するかまで考えなくてはならないからだ。 
 これはハイブリッド車やEVで出遅れているマツダが既存エンジン車で真っ先に採用した「アイドリングストップ」による省エネ発想である。
 実際、国内自動車メーカーで市販されているEVは、このアイドリングストップの発想で、航続可能距離を延ばす省電化をはかっている。停止時からフットブレーキを離すと、モーターが回り出すしくみなのだ。これは大事な省電化の機能だ。いちいちエンジンを手動で切らずに、電子制御でいかに自動車の連続的運動を損なわずにスムーズさを出せるかという技術である。
 つまり、たとえばリチウムイオン電池の性能向上が限界であっても、それを制御してパッケージで性能の向上をはかる視点に立てば、そのシステムの提案は生きるのだ。
 なにもリチウムイオン電池単体の性能向上だけがすべてのカギを握っているとは限らない。Aの限界をA+Bにして解決していく方法だってあるということだ。
 電池性能の向上では、電池単体技術のさらなるブラッシュアップという視点と組み合わせて、パッケージ化でトータル性能を考える視点において知が結集できるなら、それは立派にEV産業の役に立つ。そしてビジネスでのイニシアティブを握ることへとつなげられるのだ。

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軽量化と電池システムの技術向上の交差点が普及のはじまり

 EVを考えるとき、電池の性能の飛躍的向上と同等にもうひとつ大事な視点がある。それは車体の安全性を担保した軽量化である。
 テスラロードスターの航続距離の長さは電池の制御システムにすべてがかかっているわけではない。車体の重量もその航続距離の長さを補っている。
 テスラロードスターの車体は、ロータス社製のものだ。ロータスエリーゼをベースにEV化されたもので、厳密にいえば完全なグランドアップではない。このロータスエリーゼの車体はフレーム以外がFRPでつくられている。
 FRP素材は1960年代から存在した素材である。しかし近年、環境問題が取り沙汰され、自動車メーカーがこの素材を使用することはほとんどなくなった。軽くて成形しやすく、製作コストも安いが、衝突強度に難点があるからだ。
 衝突安全性の確保は高張力鋼板や炭素繊維複合材にはおよそかなわない。しかしFRPはいまだに軽量化としての利用は多く、レース用マシンではまだまだ使われている。
 ロータス社は軽量スポーツカー製造の歴史が長い。ロータスヨーロッパやスーパーセブンが有名な自動車メーカーである。この会社の考え方のひとつに、パワーウエイトレシオがある。高回転域が得意な4気筒エンジンを軽量化とセットで挑んできた点が注目に値する。ロータスエリーゼも自動車レースを軸に市販化されているクルマだから、軽量化には自信がある車体といえる。
 テスラモータースがこのロータス社を車体供給のOEMとして選んだ背景はここにある。それはリチウムイオン電池搭載のEVには、車体の軽量化とパッケージによる性能向上が必要であることを表わしている。つまりEVにはパワーウエイトレシオの視点からのクルマづくりが求められるのだ。
 板橋EVクラブでつくったコンバートEVのスズキエブリィは、コンバート前のエンジン車の車両重量が880㎏(AT車)。それに対し、コンバートEV後の車両重量は1060㎏となった。エンジン車に比べ、およそ180㎏の重量アップである。
 この内訳をいうと、エンジンを降ろすことで、80㎏減となるが、モーターとその制御装置で80㎏の重量があるので、いわば行ってこいとなる。またATはそのまま使用したので、この重量は変わらない。一方、燃料タンクやマフラー、ラジエーターなどの付属補機類の不要パーツで30㎏の減量となった。対してリチウムイオン電池はおよそ150㎏。それに電池の収納ボックスと配線ケーブルその他の付属補機類で60㎏が増量となる。結果、180㎏の重量が増すこととなったのである。
 これはメーカー市販車のアイミーブやミニキャブミーブであっても大体同じである。ミニキャブミーブは16・0kwhタイプでおよそ200㎏の重量増加となっている。テスラロードスターでは、ロータスエリーゼがおよそ880㎏なのに対し、1238㎏と約350㎏の重量増である。
 このように、EV化でガソリン車からの車両重量は確実に増えるわけだから、車体からの視点での考察は航続可能距離を延ばすための重要課題となるのだ。
 ところが自動車での軽量化の歴史は過酷を極めた歴史ともいわれるほど、簡単なことではない。軽量化と耐衝突安全性それに耐久性が融合した製品でなければならないからだ。これを兼ね備えたパーツでなければ、まず自動車メーカーの採用テーブルにはあがらない。
 この融合した部品を開発する技術は、EVがリチウムイオン電池単体の性能向上とある意味、同レベルの労力と時間がかかる。しかもそのあとには納入価格の交渉が待ち受けている。そしてそのレベルは今や、1㎏を減らす努力を超え、500グラム単位といわれるほど、煮詰まっている世界なのだ。
 以前インタビューしたことのある部品開発メーカーが、ガソリンタンクを鉄からABS樹脂を主体とした強化プラスチック製品に置き換えることで車両重量を7㎏減量させ、納入にこぎつけた。そのとき、この7㎏は画期的とメーカーが絶賛したほどであった。そこまで煮詰まった車体の軽量化を、EV時代にどうやってさらなる軽量化がはかれるのだろうか。
 ここで脚光を浴びるのは東レをはじめとする軽量かつ高強度素材メーカーである。炭素繊維複合材やポリカーボネートに代表される新素材は強度、耐久性そして軽量化に飛躍的な能力を発揮する。とくに東レの炭素繊維複合材は省エネを売りにしたボーイング787や三菱のMRJに採用されるほど、技術力が高い。
 しかしいかんせん、価格が高い。一部高級車のフレームへの採用が決まっているものの、それだけでは普及価格への流れには至らないだろう。
 が、実際にEVは普及させなければならない乗り物であることはたしかだ。それには実用域で最低200㎞の走行が必要となろう。今のEVにとって適量といわれるリチウムイオン電池の搭載にその実力はない。軽量化とパッケージで早期実現することが普及のカギを握る。

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EVに変速機がいらないという定説は本当か

 「EVに変速機能のついたトランスミッションは必要ない」
 これがEV業界の定説となっている。基本的にこの発想は間違っていない。モーターのトルクが駆動に伝わる機能があれば、変速機をわざわざつける必要性はない。
 モーターにはグイグイとボディを引っ張って行けるほどのトルクとパワーがある。低回転から押し出すような力と、まるで底なしのような高回転域を発揮できる性能があるのだ。そのモーターの力さえあれば、変速機能でサポートしてやる必要性がないのだ。
 市販車でもその傾向を踏襲している。アイミーブは1段固定のトランスミッションを使い、その他のギアを持たない。クリープ現象を出すためにトランスミッションがあるだけだ。バック時もモーターの反転で対応している。が、それがEVのベストであるかといえば、そうだろうか。
 板橋EVクラブで製作したコンバートEVは、おそらく日本初となるスズキエブリィをベースに純正のATをそのまま搭載したものだ。つまり動力をエンジンからモーター+リチウムイオン電池に変更した以外は、すべてコンバート前のエブリィに搭載されていたものを残してEV化したのだ。
 ATを残して利用した理由はふたつある。ひとつはおよそ日本に400台あるといわれる、メーカーガソリン車を使ってコンバートしたEVには、マニュアル車が多く、3速固定で走るものがほとんどだ。乗ってみると、出足のアクセルワークが難しく、乗り味もギクシャクしてしまう。そのためEVを初めて乗る人にはイメージが悪く、感動が薄い。つまりクリープ現象がないことが、乗り味を悪くしてしまうのだ。そのイメージの悪さを払しょくしてみたかったのである。
 もうひとつは、ATが省電化に役立つのではないかという素朴な疑問と期待からである。シフトアップすることで、モーターの出力を極力減らし、航続可能距離に貢献できればと期待を込めたのだ。
 結果はまず、板橋EVクラブが製作したAT搭載のエブリィと、3速マニュアル固定で走らせるコンバートEVエブリィを乗り比べることで明らかな違いを感じることができた。クリープ現象を持つAT搭載のEVのほうが道路事情に対して、じつにスムーズな走りをするのだ。
 信号待ちからの発進、右左折の際の横断歩道を横切る動作で、エンジン車においてAT車がなぜマニュアル車より出足がスムーズなのか。これはATがアイドリング状態でもクリープ現象により、前に進もうとするからである。
 このクリープ現象でアイドリング状態でも助走しているからこそ、AT車は乗りやすく、発進もスムーズになる。乗用車のAT普及率は今や90%以上。つまりこのクリープ現象にドライバーたちは完全に慣れきってしまっているのである。
 一方でAT搭載での航続可能距離に関する費用対効果は疑問となった。重量に対して、それだけの貢献度があるかという疑問である。
 ATの重量はおよそ60㎏。車体の5%強を占める。これがいらないと考えれば、その分車両重量は減量できる。その減量効果と、変速することによるモーター出力の抑制省電化では、どちらにメリットがあるかが難しい判断となった。
 それならば、まずは変速機能をいったん捨てて、軽量化を取る選択肢のほうが、コスト面も含めてメリットがあるという判断も可能だということだ。
 これが現在市販されている自動車メーカーのEVがとりあえず出した結論となる。つまりクリープ現象を出しながらも、1段ギアの機能しか持たせず、モーターの力を利用する走行という選択肢だ。
 それでメーカー車では、1段ギアでも減速機能を持たせ、回生ブレーキのエネルギーも利用して減速時発電を行ない、バッテリーを充電する発想に至ったのである。
 メーカー車はクリープ現象のみでおよそ6㎞/hで走らすことができ、1段ギアでもモーターの力で100㎞/h以上での走行が可能だ。しかもモーターは軽自動車規格のアイミーブでさえ、1800㏄4気筒エンジン、人によってはV6・2000㏄と思える走りっぷりを感じさせる。逆に板橋EVクラブのAT搭載エブリィでは、かえってそのモーターのスムーズな回転によるトルクを、3速ATということが阻害させてしまい、1300㏄クラスの走りに感じることしかできない。ここがトランスミッション不要論を導いているのだろう。
 ではそれだけで変速機は本当に不要だろうか。モーターが高回転になればなるほど、リチウムイオン電池の使用量が増え、航続可能距離が短くなることは事実だ。それを変速機でアシストすることは間違いなく意義がある。
 が、モーターのトルクを考えると、たくさんの変速ギアはいらない。それならば、街乗りのローギアと高速用ハイギアの2速あれば便利ではないか。あるいはモーターの出力を抑制できるCVT機能でもありだろう。要はクリープ現象の確保と、モーターのトルクを阻害せず、かつ省電化に貢献できる変速機があれば、EVはもっと楽しい乗り物になるのではないだろうか。

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タイムラグのあるEV車の運転方法

 自動車メーカーで市販されているEVは1段固定のトランスミッションにより、クリープ現象が起きる。クリープ現象だけでの走行は制御装置により時速6㎞/h程度ということは前項で述べた。これにより、発進時や横断歩道での徐行の際のスムーズさは確保され、ガソリン車からの乗り換えに違和感はない。
 またバック時はギアがそうさせているのではなく、モーターの逆回転を利用して動くしくみだ。メーカーがつくるEVのトランスミッションは、1段固定の変速機というよりは、むしろ減速機能を重視した減速機というべきだろう。
 そして停止状態でブレーキを踏むと、モーターの電源が切れるよう設計されている。ブレーキを離すとモーターに電源が入るしくみだ。安全面も含め、その省電化システムは賢い。リチウムイオン電池の性能向上がされないなら、他の部分で省電化を突き詰めていかなくてはならないわけだから、このようなシステムは今の時点では必要だろう。
 が、これが思いのほかEVを乗りづらくさせる弱点でもある。じつはEVは停止状態からブレーキを離して、モーターのトルクが発揮されるまでにタイムラグがある。停止から発進までの出足が遅いのだ。トランスミッションによるクリープ現象がそれをリカバーしてはいるが、現状ではこれに慣れなければ、よりスムーズな運転にはならない。このタイムラグを解消させるには、アクセル準備とブレーキを離す準備を同時に行なうしか方法はない。
 EVは今のリチウムイオン電池による1充電での航続可能距離の限界、充電設備インフラの進捗、イニシャルコストの費用対効果とあらゆる見地から考えると、販売ターゲットを中高年中心にせざるを得ない。若者や商用ユースでの本格普及は、価格抑制がさらに働かないと進まない。
 そうすると、中高年とくに60歳から70歳のドライバーにとっては、発進のタイムラグを街乗りでスムーズにするための運転技術があったほうがよい。それは右足でアクセル、左足でブレーキを踏む運転方法だ。
 1960年代、それまでマニュアル車が主流だった自動車はモータリゼーションにより70年以降、AT車の普及率が上がりはじめた。それまでマニュアル車のクラッチ操作を左足で行なっていたドライバーたちは、右足だけで操作するAT車に変わると、左足のやり場に困っていた。そこで一部のドライバーは、左足でブレーキ操作をする運転方法をしていた時代がある。高齢者や女性によるAT車の急発進事故がよく報道されるが、その大半はアクセルとブレーキを踏み間違えたことによる事故といわれている。
 運転の基本3要素は「認知」「判断」「操作」である。周囲の状況と置かれている環境を情報として感知し、理解・把握する「認知」を経て、認知で得られた情報から予測し、自分の行動を決定する「判断」を下し、その判断をもとに行動を起こす「操作」をする。クルマの運転は、常にこの3要素を終わることなく繰り返していくのだ。
 ところが運転は、自分の身体能力を超えてクルマをコントロールすることはできない。そして普段は大脳で思考、判断をして、操作が行なわれるのだが、人間は緊急事態を感じた場合、脊髄反射が大脳より早く次の行動指令を末梢神経へ流してしまう。「とっさに思わず」といわれる行動がこれである。
 つまり、身体能力を超えてクルマをコントロールできないうえに、とっさの緊急事態で脊髄反射の指令を過度に行なってしまうのだ。これが高齢者や女性に多く起こるAT車の急発進事故のパターンだ。
 プロドライバーやレースドライバーでも身体能力の限界と、脊髄反射の過度の指令を運転技術でカバーする側面が数多くあるのだから、そのクルマの特性に合った運転技術を身につけることが本来は望ましい。
 EVでは発進時のタイムラグと、ドライバーが省電化を心がけようとする思いが重なり、アクセルワークをエンジン車より難しくさせてしまう。エンジンのAT車のような前へ出す能力に劣るのだから、脳から過度のアクセルワークの指令が出やすいことになる。アクセルを踏むことでモーターがより回転し、トルクが出たとたんに歩行者を発見して、慌ててブレーキを踏む行動が予測されるのだ。この動作が身体能力の限界により遅れたならば、これは事故の確率を高める結果となる。
 が、左足で常にブレーキを踏む癖がつけられたら、身体能力を技術でカバーできることになる。アクセルを踏みながらも、左足でアクセルによるスピードを制御できるわけだから、本来は安全性が高まる。さらに右足には本来のブレーキ動作の癖がついているのだから、二重のブレーキ動作を手に入れたことと同じなのだ。
 ただし、これには相当の練習量がいる。タイムラグが気にならないのなら、あえてそれをする必要はない。またメーカーEVの取り扱い説明書には、すべて右足で操作するよう、あえて注意書きがされている。それでも高齢者や女性に、ただ左足を遊ばせておくのはもったいない話でもある。

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[第3章] 変化する自動車市場とドライバー

自動車の技術普及のパターンが変わる!

 ダイムラーのメルセデス・ベンツをはじめ、総合的にクルマのセグメントを網羅する自動車メーカーは新しい技術において、その普及のパターンがあった。すなわち、プライベート性、趣味性の高い高級車種でこれから本格投入を計画している新技術を披露し、その技術の検証とユーザーの評価情報を得て、高級セダン、大衆車へとフィードバックして、普及させるパターンである。
 しかしEVではこのパターン化された普及テストはできない。三菱のアイミーブがそうであるように、既存車種のエンジン車を使い、コンバートEVで市場テストをしてから見極める手法が主流となる。なぜなら、EVがガソリン車のように、すぐにユーザーに受け入れてもらえる可能性が低いと見ているからだ。
 一方で日産リーフはEV用の専用設計でグランドアップという冒険を試みたが、それでもプラットフォームの一部は他車種と共有化させてコスト削減をしている。今後もEVにおいて部品の共有化は進むであろう。これは今まで経験しなかったほどの高価な部品、つまりリチウムイオン電池を搭載しなければならず、それを大衆車レベルの車格で単純にコストオンしたのでは、とてもではないが高価で売れるはずがないと見越しているからだ。
 今後もメーカー市販車を普及の可能性がある価格にするには、プラットフォームなどボディ側と部品の共有化でコストダウンをはかるしかないのだ。
 EVが普及するには、今までの新技術の市場テストパターンを捨て、いかに自動車メーカーとして、できる限りのコストダウンを考えるかがカギを握る。グランドアップがコストアップにつながるなら、あえてそれをする必要はない。自社のガソリン車をコンバージョンして、ガソリン車とEVを同じ車種で併売してもいいはずだ。
 ただしEV普及に向けて、趣味性の高いスポーツカーと大衆車、そして商用車の3つのカテゴリーから攻める必要性はある。
 とくにスポーツカーと商用車のEV化は早期に必要だ。スポーツカーにおいては、テスラロードスターが先行して米国では成功しているが、日本でも自動車マニアを早くEVに乗せることで普及をうながすべきだろう。 モーターのパワーとトルクに驚いて、彼らがEVの虜になる可能性が極めて高いからだ。これは日本の自動車メーカー各社の特性から考えると、日産とホンダにお任せしたい。
 一方で商用車EVの早期投入を望むのは、彼らのコスト回収の早さ、それにそのボディ形状から、より電池搭載量を増やすことができるからだ。 国産唯一の商用車EVのミニキャブミーブはアイミーブのシャシを流用し、それでコストダウンをはかり、EVにしては手ごろ感のある価格を実現している。国や地方自治体の補助金、さらには経産省エネルギー庁の税制優遇を踏まえると、車両代金のコスト回収も相当早く実現できる。
 ただ本命はハイエース、キャラバン、タウンエースクラスの商用車EVの早期登場であろう。商用車EVでリチウムイオン電池の搭載量を増やすと、最大積載量に影響が出る。日本には道路運送車両法での規制があり、最大積載量と車両のバランス関係が重要視されるため、車両重量が積載量に関与する。電池で車体が重くなれば、積載量を減らさなくてはならない。
 このような規制は欧米をはじめとする先進国にはなく、いつの間にか自己責任化した自動車社会になっても、最大積載量と車両重量の関係は見直される気配はない。
 が、ハイエースクラスの商用車がEV化され、その航続可能距離が実用域で150㎞走れたとしたら、普及率は格段に上がるはずだ。普及に向けた市販価格を無視すれば、じつはもうこの域にEVはきている。電池の量はスペース的にリーフの2倍は搭載可能だからだ。
 問題はそれだけの量を搭載すれば、それだけ価格に跳ね返り、また車重が増えることで最大積載量を後退させてしまうことにある。さらにディーゼル車が主流と考えた場合、燃料コストとの比較検討でも、今の時点ではEV化のメリットが少ないとの判断も浮上する。
 が、EVは普及させることでコストを下げていかなくては、その先の技術進歩はないだろう。それには商用車でのEV普及が一番なのだ。
 メーカーは一時的な利益のための経営判断をあえて後退させ、さまざまな国の補助金と税制優遇が施策として存在しているうちに、勇気を持ってEV化できるクルマのリリースに挑むべきではなかろうか。

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EVは超小型車と5ナンバーサイズを再構築するチャンス

 日本車は1980年代から、本格的な3ナンバー車開発に取り組んだ。それまでは5ナンバーサイズのクルマが中心だったのだ。
 3ナンバーサイズのクルマに移行していった背景はさまざまある。その最たる理由はグローバル化だ。欧米への本格的輸出時代を迎えていた当時の日本のメーカーは、5ナンバーサイズのクルマづくりに限界を感じはじめる。欧米、とくにアメリカの自動車メーカーはもともと大型車が主流。大型車はサイズという制約がなく、デザインの自由度がある。さらにワイドボディにすることで車両の安定度を高めることができる。
 これらはクルマをヒットさせるためには欠かせないポイントであった。いわゆる売れる要素だったわけである。ドライビングプレジャーとラグジュアリー。これこそハイエンドで売れる提案だったのだ。ところが反面、過度なワイド化は国土が小さく、道路の幅員が狭い日本では、便利さをそぐ一面もあった。 
 かつて小さいが小気味よく、役に立つと評判だったシビックがワイド化され、セダンを3ナンバーで登場させたことで、ホンダは国内販売を失速させた苦い経験がある。
 インサイトは本格的ハイブリッドカーとして、3代目プリウスの発表前に登場した。3ナンバーシビックの経験から、あえて5ナンバーでこだわって登場させた。ところが、あとから投入した3代目プリウスには販売戦略においてまるで歯が立たなかった。3ナンバーサイズのプリウスに軍配が上がってしまう。
 インサイトとプリウスでは乗りやすいのはどっちか?ボクはインサイトと答える。プリウスの生活道路での運転はそんなに簡単ではない。インサイトはスッとすれ違える。燃費に多少なりの違いこそあれ、両車に驚くほどの差はない。
 それなのに、プリウスが圧倒的に売れた。ホンダにしてみれば、「なんで?」といったところだろう。
 本来、日本の生活道路では5ナンバーサイズ以下が便利なのは明白だ。しかし現実、すでに日本人はデザイン性、室内空間とネームバリュー(話題性)によるクルマ選びが定着している。
 それでもボクは、EVは5ナンバーサイズの復活の役目も果たす次世代自動車だと期待している。EVはガソリン車に比べ、生活密着度が高い自動車となる。また都会と地方で人気が二分される。つまりまずは都心部で暮らす人や島で暮らす人が消費のオピニオンリーダーとなる。そんな彼らは生活道路の使用率が高い。
 5ナンバーサイズ以下のEVが生活道路を無理せず走らすことができるようになれば、歩行者、自転車、自動車どうしのすれ違いも楽になり、より道路社会と共存化できる。
 「生活道路での電柱が邪魔だ」と常々思っていても、もう電力会社に電柱を取っ払い、新しいインフラをつくる余裕など、しばらくないのだから。
 またEVだと、5ナンバーサイズでもガソリン車より安定性を確保できる。リチウムイオン電池を床に敷き詰めれば、低重心となるからだ。あとはホイールベースを長めにレイアウトできれば、乗り心地による快適性も与えることができるだろう。
 さらに5ナンバーサイズへの回帰は同時に軽量化への道でもあるのだ。EVの大衆車は飛ばさないクルマでなければならない。つまり航続可能距離と常ににらめっこする乗り物だ。そのことはメーカーとユーザーとが共有していかなくてはならない。なぜならEVの航続可能距離がガソリン車を超えるのはまだまだ先の話だからだ。
 そのことに慣れるためには、運転のしやすさ、生活道路走行のスムーズさがクルマに備わっているべきだと考える。EVでは5ナンバーサイズのクルマが日本だけでなく、世界でも必要なことを再認識できるだろう。
 そしてもうひとつ、超小型車の普及も大事であろう。セグウェイやゴルフ場にあるような2人乗りの電動カートは便利なのに、なぜ普及しなかったのか。それは運転者の安全性と歩行者の安全性が確保できない乗り物だからである。本来、これらが最寄駅までの足として使えたら、エコなうえに人の生活は飛躍的に向上していた。が、それを認可することはなかった。道路における協調性がないためだ。
 しかしついに2人乗り以下の超小型車を区分認定する動きとなった。軽自動車の下のカテゴリー区分にあたる新区分である。この超小型車がエンジン車での普及であってはならない。これこそEVがピタリとはまるセグメントである。この開発に自動車メーカーやEVベンチャーはすぐさま力を注ぐべきだろう。
 これならばリチウムイオン電池でなければならないこともない。グレードで鉛バッテリーの選択もできれば、価格が抑えられる。今まで輸入車でこのセグメントのEVを輸入しているところがある。いよいよ日本製の出番ではないか。
 そして同時に、既存の自動車メーカー以外での超小型車専用メーカーが誕生する可能性に、光が当たったともいえよう。EVによる小型車の分野での競争が楽しみとなってきた。

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EVは航続可能距離で車格が決まる

 何度も書くが、EVの最大の弱点は供給電源の最大容量にある。つまりはメイン電源となるリチウムイオン電池の最大効率化が未熟であるということだ。しかもそれは航続可能距離と自動車の持つ快適性と運動性能に跳ね返る。そして「航続可能距離が短い」との批評を受ける結論となる。
 しかし航続可能距離は現時点では、電池をたくさん積めば、距離を延ばすことはできる。バッテリーのセル数を増やせば、高電圧が得られ、それだけ高航続距離となるのだ。
 それはテスラモータースのテスラロードスターがパソコンなどに使われる汎用のリチウムイオン電池を約7000本搭載し、それを効率よくシステム化することで、高い航続可能距離を実現していることが証明している。
 あるいは日本EVクラブがギネス認定を受けたダイハツミラコンバートEVは同型のリチウムイオン電池を8320本搭載し、東京、大阪間555㎞を無充電走行したことでも、搭載量が航続距離を決める事実を証明した。
 しかし問題はそれだけのリチウムイオン電池を積むことのデメリットの大きさだ。まず車両重量がものすごく重くなる。このことは自動車が本来持つ運動機能を損なわせ、バランスに影響を及ぼしてしまう。
 前述したように、板橋EVクラブで製作したエブリィコンバートEVでは、およそ3・2㎏のリチウムイオン電池を46個積んだことで、電池重量だけで約150㎏となった。登録時の車両重量はエンジン車880㎏に対し、1060㎏となり、180㎏の重量増となった。
 航続可能距離60㎞に対し、180㎏の重量増はきわめて効率が悪い。このことからも、リチウムイオン電池の高性能化、軽量化がいかに必要かおわかりいただけるだろう。
 もうひとつの大きなデメリットは価格である。現時点で非常に高価なリチウムイオン電池をたくさん搭載すれば、それだけ価格が高くなる。無充電で500㎞走り切るEVは、今の技術では車両価格1千万円超となってしまうのだ。とてもではないが、そこまでの価格で購入しようとするユーザーはごく少数であろう。
 じつは、三菱アイミーブやミニキャブミーブがリチウムイオン電池の搭載量を減らす、あるいは電池の性能を下げるなどで廉価版を投入したことは、われわれが今後の自動車に対する考え方を変えていかなくてはならない先例となっている。そう、EVでは航続可能距離が車格を表わす指標になるのだ。
 高性能で軽量化されたリチウムイオン電池が1セル当たりの航続可能距離を大幅に延ばすことができるようになると、この高性能電池がたくさん搭載されたEVがフラッグシップ車となり、トップグレードとなるのだ。そのうえでデザインと快適性能を各メーカーのEVから選ぶ時代がくる。
 ただ、それはより高性能なリチウムイオン電池が開発されてからの話。 電池の重量を、性能を損なわずに今の半分にすることは、簡単ではない。電池業界が当面の目標とする「現在の半分の重量で2倍の性能」の電池には、さらなる知と資本の結集が必要だ。
 しかし2012年は団塊の世代が65歳を迎える年。向こう4年間は団塊の世代の移動ニーズが期待できる需要期となる。燃費のいいクルマでゴルフや旅行に出かけることを楽しみにしている団塊の世代は多く、また70年代のモータリゼーションにより、自動車への憧れを刷り込まれた世代でもある。ビジネス的にいえば自動車業界は「魚がいる」時代を迎えるのだ。
 それゆえ、乗り換え需要はPHVにしばらく軍配が上がると想定されている。航続可能距離の限界を感じず、EV走行もできる究極のハイブリッド車が時代をリードすることは堅い話であろう。
 それも自動車の進む道としては悪い話ではない。むしろ歓迎されるべきだ。そしてPHVがさらに磨かれ、充電インフラも充実すれば、やがて走行でのエンジン使用比率を下げ、EVモード使用頻度が多くなる仕様に変貌する。そしてそれが多くの純粋なEVの登場につながっていくのだ。

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どうすればEVは爆発的に普及するのか

 震災後の日本でEVを普及させることは電力エネルギーの枯渇を招くという試算に対して、個人的には疑問を抱いている。そんなことはまずないと考えている。が、世論は「電力会社がこの電力不足のおりに、オール電化を推進するとは何事だ」という風潮がある。だから自動車はとりあえず、できるだけ化石燃料を使用して電力不足に対する批判を避けることが望ましいなどと、ある省の幹部がこっそりといっていた。
 しかし夜間電力による充電が主流となるEVは、電力不足の足を引っ張ることはおそらくない。それをいうなら、電力を無駄に使用している他の業界に批判の矛先を向けるべきだろう。EVは災害時に電源として役立つわけだし、走行時のCO2排出もない。少なくとも社会的に役立たずのクルマではないのだ。そのうえ、国のコストとユーザーのコスト双方に恩恵がある乗り物だ。したがって、積極的に普及させることが正しい判断だと思って疑わない。 
 ただEVを本格普及レベルまでにしていくためには、何度もいうが、航続可能距離の増大が欠かせない。そのための資金を捻出させること、あるいはEVの魅力を啓蒙するためには、ある程度の初期普及が必要となる。オピニオンリーダーへの訴求に加え、企業に対する訴求をしていくのだ。それには初期のアプローチ普及に対する施策が必要となる。
 現在、EVには国や地方自治体から大きな補助金がついている。四輪車で最大およそ100万円近くとビッグなものだ。予算には限りがあるので、いつまで続けられるかは不明だが、この補助金がなければ、EVはとても高価な乗り物だ。そしてこの補助金がリチウムイオン電池の技術開発を含めたEVおよびEV関連インフラの開発費の捻出に一役買っている。
 が、その魔法が解けるまでに、EVの技術は本格普及レベルまで到達しないであろう。補助金が打ち切られ、さらなる補助金が出なければ、EVの開発は止まることはなくとも、それだけ遅くなるのだ。
 そこで今のうちに追い打ちをかける施策が必要だと思う。ボクが今すぐでもできるのではないかと思うEVに対する施策はふたつある。
 ひとつはスクラップインセンティブの復活だ。リーマンショックを受け、日本の産業と雇用の安定のため、当時の自民党政権は自動車の代替え促進するために、エコカー減税に加え、スクラップインセンティブを打ち出した。初年度登録から13年超のクルマを所有するユーザーに対し、エコカーへの代替えをするのなら、登録車で25万円の補助金をつけたのだ。
 この施策は予算を使い切るほどの効果があった。それでもまだ13年超の乗用車はおよそ100万台ある。そもそも一部のユーザーは13年超のクルマをなぜまだ保有しているのか。これには趣向性に基づく所有者が思いつくが、じつは、年間走行距離が少ないために壊れないことで「まだ乗れてしまう」と考えるユーザーのほうが圧倒的にが多いのだ。
 この年間走行距離が少ないユーザーこそ、EVの親和性は高い。だからあえてもう一度、スクラップインセンティブが必要だと思えるのだ。
 もうひとつのEV普及施策は、青色申告の個人や法人に対し、さらなる資産計上の優遇をすることだ。自動車は税法上、資産計上して年間ごとで減価償却させ、費用計上していく方法をとる。資産計上した自動車は申告者が定率、定額のふたつの方法から選び、数年間で費用計上していく。購入した新車はおおよそ6年かけて費用化していくのだ。
 つまり儲かったから新車を買って、費用計上して支払税額を調整しようと思っても、新車購入金額全額はその年だけでの即時償却ができないしくみだ。
 これに対し、経済産業省管轄の資源エネルギー庁は2011年6月より期間限定で「グリーン投資減税」を施行して(国税庁での正式名称は環境関連投資促進税制)、税の優遇措置で応援している。PHV、EVもその減税対象となっている。
 減税の内容はPHVやEVを購入した場合、即時償却はできないが、通常償却に加えて車両価格の30%の特別償却での上乗せ、または購入価格の7%を法人税額から差し引ける税額控除のどちらかの選択制というものだ。
 しかしこの税制優遇では、今の日本の経済状況を考えると、普及の起爆剤にはなりにくい。営業用ナンバー車を対象外としているうえ、そもそも中小企業が利益を出せていないからだ。
 ここで大事なことは、個人、法人双方の需要を大きく取り込むことにある。震災後のEVの活躍をもう少し考慮し、法人車両だけでなく、個人の可処分所得からの代替えについても施策が必要だろう。要はPHVもEVも、電池システムを磨かなければ、技術も価格も下がらないのだから、購入者を問わず早急な代替え促進でEVの台数を増やすべきである。
 現状のEVの満足度が未完成ながら、初期普及へとつなげられれば、自動車業界にさらなるEV開発費用を捻出させるお手伝いができるのだ。

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EVを育てるために今、自動車メーカーがやるべきサービス

 他の自動車メーカー、とくにトヨタに先行してEVの市販化にこぎつけた三菱と日産だが、どうも販売台数が計画通りにいっていないようだ。せっかくの新しい試みを誰もが評価しているのに、それが販売に結びついていない。イニシャルコストを除けば走行性能をはじめ、経済的、環境的メリットを持ちながら、どうしても「時期尚早」とユーザーに思われてしまう。
 そんなおかげでリーフのリチウムイオン電池は今や過剰在庫状態が続いている。電池コストを早く下げるために量産しているにもかかわらず、肝心のリーフの売れ行きがこれでは、技術革新の期待が遠のいてしまう。スペインでの電池工場建設を中止した背景にはこんな事情もある。今、日産は必死にリチウムイオン電池の売り先を探しているのだ。
 なぜEVは今の時点で普及しないかという答えはきわめて簡単だ。車両価格の割高感、今のリチウムイオン電池での航続可能距離と急速充電インフラ不足に不安を感じているからだ。
 消費者が持つその不安を払しょくさせることは、EV1台所有では不可能であろう。どうしてもガソリン車を含めた複数所有ユーザーがターゲットとなってしまう。それなのにメーカーはその不安を少しでも払しょくさせる施策をしていない。本気で次世代自動車の本命はEVであると位置づけた開発だったのかと思えてならない。
 それともリチウムイオン電池の性能が上がれば普及は早いなどと、時が解決するとでも悠長に思っているのだろうか。
 EV1台ではガソリン車のような自由度がない。それならば、それを少しでもフォローできる施策を含めたパッケージで販売するなど、売り方はいくらでもあるのではないか。
 たとえば新車でEVを購入した人にガソリン車を使える権利を与えるという方法がある。アイミーブやリーフを買ってくれたユーザーには3年間、いつでも同等車種のガソリン車のレンタカーを保険料のみ徴収して、実質無償貸与するなどの施策だ。EVでは無理がある遠出などの使用方法を、別のガソリン車で補ってやるのだ。これだけでもユーザーのEVに対する見方は随分と変わるはずだ。
 事実、EVの所有者のほとんどがセカンドカー購入だ。つまり別に自動車を保有しているユーザーだ。EVをオンリーファーストカーとして、日常で使ってもらうにはどうしたらよいかを真剣に考えるべきだろう。
 アイミーブは航続可能距離を短くした廉価版を追加発売し、イニシャルコストを抑えて販売拡大の戦略に出た。たしかにそれで販売台数が伸びて、電池の量産化により電池のコストを下げることができるならば、悪くはない。
 が、現実的に販売価格を抑えるために航続可能距離を下げることを引き換え条件にするという前代未聞の行動を、はたして消費者は理解できるだろうか。ボクは、こんな発想でその時点での新技術が売れるという時代はとうに過ぎたと思えてならない。
 たしかに航続可能距離が飛躍的に延びることでEVが普及すれば、電池の搭載量がEVのグレードになるのは想像できる。それが車格になっていくことは前項でも書いた。しかし未完の技術の成長期においては、まったくの逆だ。廉価版ではなく、さらなる航続可能距離を延ばした上級版で、ユーザーにアプローチすべきではないだろうか。EVの既納客を怒らせても、進化を伝える施策に出るのがメーカーの役目だと思っている。
 逆に廉価版を登場させることで既納客を怒らせれば、メーカーは信用を失いかねず、代替えを考えるユーザーも、メーカーの戦略が落ち着くまでは手を出さなくなる。
 これはトヨタが2009年、インサイトに価格で対抗すべく、2代目プリウスを廉価版として残したまま、3代目プリウスと併売させ、失笑を買ったことで立証済みだ。結局、2代目プリウスは2011年で生産終了の運びとなっている。
 EVを販売する視点では、自動車単体をただ売るという従来の考え方では、もはや成立しない。EVは魅力あるパッケージ販売をすることで、ユーザーを完全な系列ディーラーの顧客にするチャンスと考えるべきだ。点検や車検、タイヤの交換でさえも、メンテナンスはすべてディーラーが引き受けられるようなサービス施策が必要だろう。しかも魅力あるパッケージ販売は、それだけユーザーとのコミュニケーションがとれるチャンスを生む。
 今までできなかったディーラーが理想と考える「完全なユーザーの囲い込み」はとどのつまり、ユーザーとディーラーとの接点の回数で決まる。とくに少子高齢化社会ではコミュニティをうまく活用した者が勝者となる。少なくとも自動車販売において、そのことは間違いないだろう。そうやって着実に地域単位でEVユーザーを増やすことが、EVの急速な拡大の道筋をつくるはずだ。電池の性能の飛躍的向上を待っていては、EV普及の道は遠くなるだけである。

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EVレンタカーは商売にならない

 EVの普及が進んでいない現在、EVをレンタカーにする動きが出ている。が、EVレンタカーの発想は、もの珍しさ限りでビッグビジネスチャンスにはならない。
 レンタカービジネスは2008年ごろからあらためて活況となった。この背景には原油高があり、リーマンショックがあった。各家庭や企業においてコストの見直しがされはじめ、クルマを所有からレンタルへと移行させた。自転車とレンタカー、あるいはバイクとレンタカーという組み合わせで、必要なときに必要なだけという発想が、都心部を中心に定着した。カーシェアリングの普及もこのころから加速度を増していったのである。
 そもそも日本におけるクルマの所有は大変お金がかかるものだ。イニシャルコストは当然だが、ランニングコストは各種税金や車検・点検、修理代そして駐車場代に損害保険料と家計や企業コストを圧迫する要因となっている。
 かつてボクが書いた本で、生涯にかかる自動車の総コストを計算したことがある。5年に1回の割合で200万円の新車に乗り換え、月額2万円の駐車場を借りていたとすると、20歳から60歳までに自動車を所有し続けるための総コストはじつに6000万円となる。サラリーマン生涯賃金の20%以上の支出をともなうこととなるのだ。この割高感からくるコストの見直しが、「持つから借りる」ことへの移行の流れをつくり、やがて若者を中心とした「賢い生活」として定着するようになった。
 そういった背景から、レンタカービジネスは活況となっていく。中古車を使った格安レンタカーはガソリンスタンドや中古車業者、整備業者と同業からの新規参入を中心に増加したのだ。同時にコンビニエンスストアやコインパーキングを使ったカーシェアリングの拠点も増えていったのである。
 「使いたいときに使いたいだけ」という発想は社会のニーズではある。しかしその消費者ニーズに応えることをビジネスに直結させるのは難しい。事実、カーシェアリング事業者は、登録会員数こそ伸びがあるものの、いまだに利益を上げることに成功していない。これからもその事業単体で利益を出していくことは難しいだろう。
 レンタカービジネスは自動車の持つ利便性にのみニーズがある。人やものを運ぶ、遠出ができるなどの自動車特有の自由度に、そのニーズが集まっているのだ。
 そもそも自動車関連事業の過当競争時代において、レンタカーが新たなビジネスの柱となるには、たとえば沖縄県のような観光地という特殊な地域事情あるいは、全国にチェーン網を持つスケールメリット以外に成功の道がないと考えるのが妥当だろう。
 しかし今後、PHVやEVの飛躍的性能向上と充電インフラ網の充実により、移動コストが格段に向上し、他の交通機関の利用者を取り込めるようになれば、事業としての成功の可能性は高まる。これは格安航空会社(LCC)の戦略と重なる。
 LCCの国内線参入は、それまで取り込めていなかった高速バス利用者や鉄道、マイカー利用者が主たるターゲットである。それを移動時間という武器に価格のメリットをつけて、圧倒的な利便性を前面に押し出している。LCCの参入により、高速バスのシェア低下はいずれ免れなくなるだろう。
 が、そんなLCCや高速バスをさらに圧倒的な移動コストで対抗できる可能性があるのが、PHVやEVなのである。PHVやEVは深夜電力利用での1㎞当たりのコストは約1円である。仮に1充電で600㎞走れるとしたら、東京、大阪間は高速道路を利用しなければ、わずか600円程度で行けることになる。この価格に勝てる交通機関はおそらく存在しない。ちなみにPHVなら現在の技術でも、同じ条件で電費と燃料費はおよそ3千円だ。4人乗車で行くなら、すでにひとり1千円以下で行けるコストパフォーマンスを持つ。つまり、今後飛躍的成長を遂げたPHVやEVは、圧倒的な陸路交通の価格覇者となるのだ。
 しかしながら現在のEVでは、レンタカーやカーシェアリングを望むニーズに一見、適しているように思えても、EVの最大の欠点である航続可能距離がリピート率を下げてしまう可能性がある。EVレンタカーの未来への期待はあるが、現時点で利用者の増加にはつながらないのである。
 また満足する航続可能距離を備えた未来のEVは、所有してこそ価値があるクルマとなる。自宅で充電し、自宅の非常用電源としても活用でき、CO2排出ガスはゼロなのだから、所有観念のうえに立つクルマとなるだろう。そういった普及がなければ、自動車革命にはならない。
 そしてもし、レンタカーを大きなビジネスにしたいのなら、自家用EVの普及率がある程度高まったときからだろう。つまりシティユースのEVの普及率が上がったとき、遠出用としてのエンジン車のニーズや、航続可能距離を飛躍的に延ばした超高性能電池を搭載したEVで利用をうながすのだ。これこそレンタカービジネスが生きる道ではないか。

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[第4章] EVにおいてこのビジネス提案は使える

EVは自動車整備業者の未来をなくす

 国内には自動車整備業者、自動車板金塗装業者それに架装施工業者が合わせておよそ6万社あるといわれている。うち整備業者が過半数を占める。
 整備業者は定期性のある点検、車検整備や一般修理を生業としているが、これがEV普及の遠い将来を考えると、このままでの生き残りは厳しくなる。エンジン車に比べ、EVは部品点数の減少に加え、機械的な修理や交換箇所が圧倒的に少なくなるからだ。
 エンジン車とEVとの現時点での共通する整備箇所は、主に足回りと操舵機構である。タイヤをはじめ、ブレーキ機能、サスペンション類それにステアリング機能だ。エンジン車整備の基本であるエンジンオイル交換は当たり前だが、EVには必要がない。
 これを今の標準的な車検整備に照らしてみると、EVで整備業者が手をつけられるところは、ブレーキパッド、ブレーキディスクローターの点検・交換、各バルブ類の点検・交換それに補機類用鉛バッテリーの充電ぐらいだ。整備業者が手がけられる範囲は限定され、車検整備そのものが簡素化していくことになるだろう。
 さらに、インホイールモーターになれば、ブレーキなども点検しかできなくなる可能性が高い。このままEV化が進むと、整備業者は工賃が稼げず、存続の意義を問われることになるのだ。
 整備業者は国土交通省の認定を受け、それを生業としている国家公認の資格事業である。しかし1995年の道路運送車両法の改正で事態は一変した。整備項目の簡素化とユーザーの自己責任を明文化し、ユーザー車検での「前検査・後整備」を容認したのだ。従来の「前整備・後検査」のみを受けつける整備業者は価格的に不利な立場に追いやられた。
 この改正は今でも本質は変わっていない。車検時に認証や指定の整備工場に部品交換を勧められた車両でも、ユーザー車検で行なえば、その部品を交換せず立派に車検が通る。その結果、整備業者は「過剰整備をする」との風評被害にさらされ、まるでユーザー車検が正義で整備業者が悪であるかのようなイメージがつきまとう。
 しかし現実はカップブーツが破け、テンションロッドがガタガタでも、ユーザーの自己責任が前提である「前検査・後整備」のユーザー車検なら、立派に合格のステッカーがもらえるのだ。
 また整備業者の向いている方向も、どこなのかがはっきりしない。業務停止や資格取り消しを恐れ、違法性ばかりに目が行く体質を生み出した。ユーザーはその過剰ともいえるコンプライアンスの犠牲者にされるのだ。ユーザーよりも国が押しつけるコンプライアンスの遵守が、整備業者にとって大事なことになっている。ユーザー不在のビジネスをする整備業者に変革がなければ、未来などないだろう。
 時代は消費の二極化状態にある。価格が安いほうに流れるか、ブランドによる信頼性を取るかである。ユーザー車検代行業者が急増したのも、「前検査・後整備」による価格優位性の恩恵によるものだ。
 あるいは自動車の電子化、ブラックボックス化により、ディーラーへの整備入庫なしにクルマを乗り続けることが難しくもなっている。ディーラーは入庫時に顧客から信頼を勝ち取り、囲い込みを展開する。そのどちらにも所属できないままでは、町工場の衰退は明白である。
 さらにはTPPへの日本の参加も見逃せない。日本の車検制度や整備的技術基準、整備業者の認証制度が諸外国の参入障壁とされ、この撤廃や改正の声が高まる可能性がある。そうなれば、ますます自動車に対するユーザーの自己責任化が進む。
 こういった背景で整備業者の社会的な不満は、この車両法改正から今日まで続いているのだ。
 EV化による自動車変革の到来で、整備業者の存在意義はますますなくなると予想がつく。このままのスキルでは、あと50年の存続は考えにくい。事実、1995年の車両法改正後から、日本の整備業者は都心部を中心に減少傾向にある。大手自動車部品量販店が整備業へ参入し、統計上では微増しているが、町の工場は減少の一途をたどっている。
 整備業を廃業し、自前の工場にマンションやアパートを建設して不動産賃貸業として、第二の人生を送ろうとする整備業者があとを絶たない。整備業者の団体への加盟数も減少し、若手のなり手がいない現状を考えると、EVは整備業者の存続にとどめを刺すことになるだろう。
 ではどうすればいいか。生き残りを考えるなら、EV時代でも飯が食える環境を整えることしか手立てはない。いわゆる第二創業だ。業界淘汰で残存者利益があると考えてもそれは無駄だ。ユーザー車検代行業者がなくなることは考えられず、さらに増加傾向を生むに違いない。また大資本のディーラーが整備部門を縮小していくこともない。むしろ残存者利益はディーラーにある。いち早くEVの構造を理解し、そこから提案できる知識を身につけることが、まず先決なのだ。

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タミヤ、タカラトミーがEVを量産する日

 究極の話でいえば、EVはラジコン感覚で自動車がつくれる。キットカーと同じだ。ベースとなるプラットフォームがあって、そこにEV機能モジュールが載り、操舵機能が備わり、ボディで覆い被せることができれば、安全性はともかく、走る のラジコンができ上がる。
 三菱のアイミーブやミニキャブミーブを下からよく観察すれば、ラジコンやプラモデルにそっくりな構造であることがよくわかる。リアにマウントされたモーターをはじめとする駆動機能、車体のお腹付近にはリチウムイオン電池、そしてフロント回りは操舵機能とじつにシンプルなレイアウトなのだ。
 そういう意味では、町の自動車屋のなかでも板金塗装業、フレーム製造や架装などのボディに関わる仕事をしている工場には、EV化時代となっても、引き続き成長できる可能性はある。
 コンバートEVは、自動車メーカーがつくったエンジン車のボディと足回り、それに補機機能を利用し、電池を動力源にモーターで動かすEVに生まれ変わらせる改造行為だ。つまり既存のボディを利用するということで、EV製作の近道をしている。
 しかしながら、エンジン車のようなレイアウトを持った外観である必要はない。たとえば理屈のうえではラジエーターが必要ないのだからデザイン上、ラジエーターグリルはいらない。エアコンのコンデンサーやインバーター、コントローラー、搭載した電池を冷却することができればいいだけだ。
 それらの冷却に結果として水冷などの機能が必要なら、エンジン車と同じデザインを踏襲すればいいだけだ。それでもラジエーターほどの大きな冷却装置はいらないから、大型なグリルをともなわなくていい。
 そうすると、EVのフロントマスクのデザインの自由度は増す。オリジナリティあるフロントビューのデザインが提案できるわけだ。そしてそれはフロントマスクだけにとどまらない。ボンネットやフロントフェンダー、リア回りにも同じように自由度が得られる。
 ちなみにミニキャブミーブはボンネットフードを省略している。上からの整備の必要性がなく、すべて下側からの整備で済むため、ボンネットフードが開かない設計でコストダウンをはかっている。これもEVならではの自由度の表われだ。
 これで軽量化とデザインの自由度を融合させるボディ製作という道が生まれる。東レが試作したEVは自社の強みである炭素繊維複合材を使ったEVである。そのデザインからもEVがまとうボディの自由度が垣間見える。
 コンバートEVのコンプリートを扱う企業のなかには、バギーを輸入し、それをEVにコンバートして販売している例もある。
 つまりEVはEV化によって得られたボディデザインの自由度を利用して、ビジネスを構築できる。「あなたオリジナルのEV製作」ができるという、新しい市場を形成することが可能になるのだ。
 それはたとえば、エアロパーツなどのアフターパーツによるドレスアップ化の比ではない。もっと大胆なことができる。このボディデザインの自由度こそ、自動車市場の活性化を呼び起こさせるに違いない。もしかしたら、プラットフォームとモジュール化されたEV機能だけを販売し、外観はラジコンのように選ぶことだって可能な時代がくるかもしれない。
 プラモデルメーカーのタミヤやミニカーで有名なタカラトミーがEVメーカーとして事業化する可能性もあるということだ。
 幸いなことに、現時点でのEVの実力ではシティコミューターの域からしばらくは出ることができない。ライトウエイトなEVの登場がしばらく主流になる。トヨタやホンダの考え方も、遠出の機会が多いユーザーにはPHVを、近場利用のユーザーにはEVをという戦略だ。
 また2人乗り以下の超小型車規格が実現すれば、さらなる自動車市場の活性化がなされる。この規格で数々のEVが登場することだろう。この超小型車へのボディ供給ができれば、さらに市場が楽しくなるはずだ。
 スポーツ仕様でのリリースなら、スーパーセブンやロータスエリーゼのような、シンプルで軽量の2人乗りでのリリースとなるだろう。なおさらボディデザインの自由度を使えるサイズとなるわけだから、ボディ屋は成長が期待できる産業となる可能性を秘めている。

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航続可能距離のカギを握るバッテリーマネジメントシステム

 リチウムイオン電池はそれ単体での性能向上だけでは、航続可能距離の最大化をはかれないものである。
 つまりいくらリチウムイオン電池を技術的に磨いても、それだけでEVを飛躍的によくすることはないのだ。
 リチウムイオン電池はエンジン性能の考え方とよく似ている。エンジンはその出力最大値のおよそ5割の性能で市販されているといわれている。これはレース業界の視点から考えるとわかりやすい。
 レースで使われるエンジンは、そのレースで勝つために、出力性能の最大化の追求をする。極端にいえば、その開催されるレースを完走できるだけのエンジン耐久性を考慮して、出力性能の最大化をはかっているのだ。
 しかし市販車のエンジンでは、耐久性と出力性能が両立していなければ、当然だが売れない。レース車両で培った性能に耐久性を考慮した〝ディチューン版〟のエンジンが市販車には求められるのだ。
 リチウムイオン電池でもこの点は同じだ。最大値のおよそ5割が市販車の出力性能という考え方となっている。レース車両のエンジンのように最大値での出力を繰り返せば、寿命を縮めてしまうし、発熱や爆発といった危険に対するリスクが大幅に増してくる。いってみれば、これも最大値からのディチューンが必要となるわけだ。
 それならば、電池性能を2倍にすればいいとの発想が思いつく。が、リチウムイオン電池単体の技術向上だけに頼っていては、いつまでたってもガソリン車ユーザーが満足する航続可能距離を持つ市販車には到達できない。さらにそれだけコストに跳ね返り、普及価格にはならないのだ。
 そこで別の視点が必要とされる。それが制御である。制御とはエネルギーをコントロールすることだ。
 かつて国産車が最高出力を280馬力に規制されていたとき、メーカーは耐久性を考慮しても、それ以上の馬力を持つエンジン性能をすでに得ていた。それをコンピュータ制御しながら、市販していたのだ。エンジン車は90年代以降、制御を繰り返して今日に至る。
 その制御装置がECU(エンジンコントロールユニット)である。このECUで電子的にエンジンや燃料噴射装置をコントロールすることで、最高出力、省燃費を実現しているのだ。
 市販車のエンジンがECUとのパッケージで性能の最適化がされているように、EVにおいてもリチウムイオン電池の性能向上は、それらを管理するシステム抜きでは成立しない。エンジン同様、制御による最適化のコントロールがEVの普及の近道をさせてくれているのだ。
 EVではこのリチウムイオン電池の最適化を行なう装置をバッテリーマネジメントシステム(BMS)と呼んでいる。
 とくにリチウムイオン電池の場合、1セル単体でその出力の最大化をはかることはできない製品特性がある。1セルおよそ3.7ボルトの出力性能があるが、これだけではとてもではないが、重たい自動車を動かすことはできない。セルを直列につなぎ合わせて、総電圧によって動かすのである。
 ちなみに初期のアイミーブの総電圧はおよそ330ボルト。88セルのリチウムイオン電池をつなぎ合わせて、この総電圧を出している。しかし1セル単位では充電と放電に差異が出るため、BMSのような制御と管理が必要となる。
 またBMSは制御という側面では航続可能距離のキャスティングボードを握る。省電力化はもとより、ドライバーの運転をBMSからコントローラーへ伝達し、航続可能距離の最大化をはかることもできる。リチウムイオン電池においては、今後も電池本体とBMSがパッケージで向上していかなければならない運命共同体となる。
 ところが、このBMSの性能には大幅に改良の余地がある。トヨタ系プライムアースEVエナジー製のBMS(この会社での呼び名はECU・エレクトリックコントロールユニット)は、あらゆる監視機能を搭載して完成度が高いとの評価もあるが、総じてBMS本体には監視機能しか備わっていない。
 しかし合理的に考えれば、BMSが制御・監視・学習機能だけに収まってしまっては意味がない。
 たとえば、BMSがリチウムイオン電池の情報を収集するだけの一方向のシステムではなく、リチウムイオン電池に対して、双方向機能があれば、さらに全体の性能は向上する。
 それはリチウムイオン電池に対し、弱電充電機能まで備わった発想もありだろう。あるいはナビゲーションシステムと連動させ、目的地までの残り距離によって、走行スピードやエアコンのパワーなどを制御して、省エネ運転につなげることの自動化でもいい。このシステムをきわめることもEVの歴史を変える技術になり得るのだ。

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発生熱の対策とどう向き合うか

 電子部品には必ずといっていいほど、機器本体の発生熱がついて回る。この発生熱をどのように放熱させ、熱害から機器を守り、安定的な機能を発揮させるかは、パソコンをはじめ、すべての電子機器における永遠の課題である。
 自動車業界もかつて、エンジンの発生熱によるオーバーヒートや、補機類の熱害による故障で悩んだ時代があった。ボンネット内の熱対策に力を入れた時期があったのだ。
 余談になるが、日本にモータリゼーションが起こった60年代から70年代、ドイツを中心としたヨーロッパの外国車は、日本の気候の変化に耐えられるクルマが非常に少なく、オーバーヒートやオーバークールの対策が必要とされたが、それでも抜本的解決には至らない外国車が多かった。
 その点、昔から高温多湿の気候、四季による気温の変化がある日本でのものづくりは、この気候のおかげで、あらゆる気候の国々で耐久性を誇示できる製品をつくることができた。オーバーヒートに関しても、ラジエーターと電動ファンの組み合わせやエンジンの水路改良で、気温上昇によるオーバーヒートとは無縁のクルマづくりを相当昔からしていたのだ。
 エンジン同様にEVでも熱害による効率低下は起きる。その主な機能部品はリチウムイオン電池、モーター、インバーター、コントローラーである。どれも電気製品なので発生熱が起きることは当たり前である。
 しかしながらEVの場合、これらの機能低下が航続可能距離と直結してしまうことから、熱対策が性能のカギを握る。つまり、熱対策が航続距離を延ばす一端を担っているのだ。
 自動車の場合、熱対策での冷却方法が主に3つある。ラジエーターなどのコア冷却装置を利用した水冷、電動ファンや走行による空気抵抗を利用した空冷、そしてエアコンなどの冷媒装置である。
 走行風や電動ファンを利用する空冷でエンジンを冷やす方法は、四輪車では今では稀少な存在であるが、二輪車ではいまだにポピュラーである。 とくにヒートシンクの性能向上から見てとれるように、エンジン本体が空冷でも冷却しやすい素材改良がされている。二輪車でも水冷エンジンは存在するが、空冷でも十分に冷却できるのだ。
 一方で四輪車での空冷エンジンは今や皆無に等しい。ラジエーターと一体のユニットとしてエンジンをとらえると、どうしても水冷の効率の高さに軍配が上がるからだ。
 多くの自動車で水冷方式を採用している理由は、コストと性能効率のよさにあることに加え、ヒーターなどへ余熱利用もできる点にある。この技術をはたしてEVは必要としないのか。
 ハイブリッド車では、その熱対策として電池およびインバーターの熱対策に水冷化を採用している。メーカーで市販されているEVのなかにも、水冷対応で熱処理しているものもある。一方、コンバートEVでは電動ファンやヒートシンクでの空冷が主流だ。
 冬場ならいいが、真夏の日を考えると、エアコン使用が大幅に増える状況に加え、気温上昇による電子部品の発生熱増加、太陽による熱伝導と、航続可能距離を縮めてしまう要因があまりにも多い。そうなると、並みの熱対策では切り抜けられない。そこでEVの熱対策の最適化システムが求められることとなるのだ。
 電子機器の生産が増えた90年代から、熱設計・対策技術展なる見本市が開催されるほど、この熱処理問題は年々クローズアップされている。EVでもこの技術は生きるのだ。
 ここで考えられることは、自動車の運動特性を考え、エンジンを冷やす役割を担ってきたラジエーターの再登場という発想だろう。走ることで空気をコア冷却し、その冷えた空気と風を利用することで水を冷やすシステムである。
 つまりEVにもラジエーター機能があったほうがいいとの見方だ。ただし、おわかりと思うが、冷やすものはエンジンではない。電池、インバーター、コントローラーなどの電子機能部品である。
 EVにラジエーターはいらないとの話はよく聞くが、電子部品の冷却において必要であるという発想から、さらなる新しい提案ができればいい。

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部品のモジュール化がもたらす勝ち組部品メーカーの共通点

 自動車メーカー各社は今後数年で、構成する組み立て部品のモジュール化を進める。モジュール化とは、機能単位でひとつのブロックと見立て、それを組み合わせることで完成させる組み立て方法だ。
 今までも製造ライン上では、個別部品の組み立て方式から、部品のアッセンブリー化を進めることで、その工程の効率化がなされていた。今度はアッセンブリー化された部品を、機能単位でさらにアッセンブリーユニットの足し算をして組み立てた状態にするモジュール化を進め、組み立て工程の一層の簡素化をはかり、効率を高めていく。
 大手住宅メーカーでも近年、このモジュール化を推し進めてきた。たとえば工場で外壁パネルを製造して、現地で組み立てるといったユニット工法がそれだ。今やこの工法が主流となりつつある。
 このメリットは大量生産によるコスト削減に加え、品質が安定すること、現場作業工程の簡素化で工期が短縮できることにある。家を建てるのではなく、家を組み立てるようになったことで、住宅のプラモデル化と揶揄された時期もあったが、今では一般的な工法として定着している。
 自動車がこのモジュール化を進める理由は、工程の簡素化だけではない。その根底にあるのが、プラットフォームの共通化にある。
 自動車部品の共通化はもう何十年の間、その効率性の追求が叫ばれてきた課題である。だが、多品種戦略により成長してきた自動車メーカーを支える自動車部品メーカーが、その儲けの仕組みから共通化に対し、難色を示してきた。
 しかしもはやその儲けのカラクリは限界にきている。コスト至上主義が続く製品競争は、いよいよ本格的な効率化をめざし、同時に新しい利益構造を構築しなければならない時期にきているのだ。
 とくに新興国市場における競争では、消費者のシビアな費用対効果の目線がついて回る。さらなる他社との価格競争に対峙していくには、モジュール化による相当のコストダウンと、そのことで可能となるプラットフォームの共通化を避けて通ることができない。
 したがって系列会社という保護策はもはや通用しなくなる時代が、もうすぐそこまでやってきているのだ。
 現実、トヨタの系列といわれるデンソーやアイシンはグローバルな他メーカーとの取引をすでに模索している。系列であることにあぐらをかく経営は終焉するのだ。

 EVにとって、このモジュール化は重要な意味を持つ。EV用パーツはモジュール化によって、組み立てや整備の安全性をより確保できるだけでなく、高価なリチウムイオン電池の製品コストを他の工程によるコストダウンで吸収できる効果があるからだ。
 現状ではEVに対する国の大きな補助金で、普及価格に近づけることができているが、補助金はいずれ近いうちに必ず打ち切りとなる。そうなれば、自動車メーカーの努力で普及価格をめざさなければならない。70万円以上の補助金分を企業努力で吸収しなければならなくなるのだ。
 ならば、このモジュール化に自社の部品が潜り込まなければ、部品メーカーの未来はなくなる。2次部品メーカーから降りるピラミッドのなかにいる中堅、中小の部品メーカーには死活問題である。
 さらに機能部品のモジュール化は、そのモジュール内の機能を完全掌握していないと、自動車メーカーに提案ができなくなる。パートさえ担っていればいいとはいかない。「ここだけがうちの部品」では通用しなくなるのだ。なぜなら系列、非系列を含め、自動車メーカーを頂点に全社的な取り組みをしないと、EVに対する顧客満足度が上がらないからだ。未完のEVが持つウィークポイントを、早く克服できる提案ができなければ、納入部品メーカーの立場は約束されないだろう。系列の垣根が取り払われる可能性が高いEVではなおさらである。
 その意味で勝ち組となりえる部品メーカーに共通するのは、EVづくりに参加していることだ。それを経験することで、全体の仕組みの掌握が容易となる。それはエンジン車を利用したコンバートEVでも十分な経験値になる。
 今ならまだ、EVの市販車はごく少数である。この現状を理解して、EV試作完成までのモノづくりに参加すべきであろう。
 「コンバートEVをつくることは、自動車メーカーの部品をつくっている我が社から見れば、次元が低い行為だ」と思うなかれ。コンバートEV製作は、目からウロコの連続である。そのものづくりが必ず自社にフィードバックできるよい経験だと、実際の経験者としてボクは強く思う。
 特殊な工程を持つEV製作から、いかに「ポンづけ化」できるかを学ぶことこそ、モジュール化のいいシミュレーションとなるのだ。

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自己完結する次々世代EV

 EVのクルマ側の課題を整理すると、今の時点では主に3つに集約される。
 ●電池および制御装置の性能向上で与えられる航続可能距離の伸長
 ●モーターの高出力小型化による軽量化および省電力化
 ●車体の軽量化
である。
 では、ある程度までこの3つの課題が前進すればどうなるかを想像してみると、次々世代EVの姿が浮かび上がってくる。それは自己完結型のEVという姿ではなかろうか。
 自己完結型EVとは、自然エネルギーとEVが融合して、EVが産業や生活に関わる電力インフラを頼らずに、EVに備わった機能だけで動く乗り物になるということだ。いわば究極の着地点である。
 現在のEVは電力会社から供給される電気を利用して充電することで、走行が可能になる。これに対し、基礎数値やその根拠に疑問はあるものの、EVの急速な普及が起こると、日本は30%から80%の電力不足になると予測するデータがある。
 たかだかEVの充電行為で、しかも充電時間は深夜電力利用の割合が多くなるのに、そこまで電力不足となることはあり得ないと思うが、EVが普及するにつれ、EVは電力不足を引き起こし、日本の産業や生活を脅かす存在などと、多少の非難を浴びることは想像できなくもない。
 それならばEVは自己完結型という新たな活路を見出せばいいのだ。それはたとえば太陽光パネルを搭載し、それで得たエネルギーを利用して充電し、走行できるようにするといったことだ。つまりEVが社会インフラから独立した存在になる可能性を模索していくのだ。
 自動車はガソリンなどの燃料さえあれば、電気系を鉛バッテリーと発電機(オルタネーター)で自己完結できている。エンジンという動力がそれを可能にしているのだ。これはマツダが水素を燃料としたロータリーエンジン発電EVで自己完結を狙っているのだが、総じてEVはクルマのオール電化なので、電気系は自己完結できない。どこからかその電気を供給してもらう必要がある。
 が、EVが自己完結型、独立した存在であることが、社会での存在意義としてどれだけ大きいことか、われわれは震災で学んだ。その経験を生かして、この発想を常に持ち合わせることで、他国に先んじてマネのできない強みに変えられるだろう。
 これをどうやって独立した乗り物にすることができるか。
 自動車観でいえば、ソーラーカーとEVの合体である。が、今の時点でそこまでのEVを市販させられるほどの技術はない。その市販車にたどり着くには、太陽光パネルなどのエネルギー吸収装置技術の進歩、それに車体の軽量化や抵抗低減、高性能電池開発とさまざまな視点での研究が繰り返され、それらが融合しなければ自己完結型のEVはつくれない。
 それでも現在のEV技術でも不可能ではない。たとえば、リチウムイオン電池を2倍搭載して、半分をスペア電源の位置づけにする発想だ。つまり半分の電池を動力で使い、その間に残りの半分を搭載した太陽光パネルで充電するのだ。充電が完了したら、切り替えてそれまで動力に使っていた電池を太陽光パネルで充電しはじめる。これを繰り返すことで、EVは自己完結でき、ランニングコストもゼロになる。
 もっとも、太陽光パネル、電池量を2倍搭載するなど、重量的には現実味はないが、たとえ充電に何日もかかったとしても、自己完結することへの挑戦はするべきだと思う。
 あるいは太陽光がだめなら、風力利用はどうかという発想も必要だ。
 このような多面的な知恵と発想が足し算されないと、EVを自己完結させることができない。
 ものづくりが得意な日本人だからこそできる壮大で楽しみな大プロジェクトであり、そのマーケットは内需だけでもかなりの規模となるに違いない。
 また、自己完結するソーラーEVを違う側面から提案していくことも必要だろう。たとえばワイヤレス充電技術という発想だ。ワイヤレス充電設備ができれば、EVはきわめて機能的な存在感が増す。自然エネルギーとワイヤレス充電設備の融合も、ひとつの自己完結型のビジネスとなる。
 究極はそれがさらに道路インフラと融合して、走りながら充電できることとなれば、電池の技術開発やモーターの省電化を磨かずして、EVが普及する起爆剤となる。1960年代に普及したトロリーバスのいわばワイヤレス化という発想である。
 蓄電システムを社会的にどう考え、どうフォローしていくか。EV産業はエネルギー革命ビジネスに直結しているのだ。

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ヤンキー御用達のEVがあるべきだ!

 コンバートEV用パーツをはじめ、自動車メーカー市販のEVでも、さらなる自動車性能の向上につながる改良パーツ市場は必要だ。よりEVの普及につなげることができるからだ。この視点に立てば、一般受けよりクルマ好きのマニアックな人の持つ「差別観」に訴求するべきだろう。
 日本の70年代から90年代はモータリゼーションとバブル景気で、自動車本体の普及や自動車のアフターマーケット市場の活況により、自動車関連の産業は成長した。その原動力となったのが車種、グレードや仕様、アフターパーツなどによる他人との差別化心理への訴求に他ならない。
 ボクは80年代初頭から90年代末期までの20年あまりの間、自家用車では国産、輸入車問わず、常にシャコタン仕様でクルマを乗ってきた。クルマはシャコタンであることがかっこいいと感じていたし、それがクルマ好きの最大の表現だと思っていたからだ。今になって振り返ると、愛車の性能向上というよりは、そのアフターパーツのブランドを取りつけたクルマを乗ってみたかったからと分析する。
 日本のアフターマーケット市場は改造やドレスアップブームが去り、市場規模は縮小傾向にある。90年代中期からの10年間ほどで乱立したアフターマーケットのメーカーたちも今はさほど勢いがない。
 このアフターマーケット市場の再燃に、EVはじつにいい素材となる。 EVのさまざまな改良パーツが開発され、それが市場に出回れば、発展途上であるEVへの改善提案となる。その改良パーツが画期的であればあるほど、アフターマーケット市場は活況となるのだ。ぜひ、パーツメーカーは改良パーツの開発をめざしてほしいものだ。
 ただ、マフラー音に親しんだマニアックなユーザーは最初、戸惑うことだろう。自動車はエキゾーストノートがクルマイジりが好きな人たちを魅了させてきた長い歴史を持つ。F1をはじめとするサーキットレースは、このエンジンが奏でる爆音が臨場感を持たせ、群衆を呼び込むことができた。
 EVにはこれがない。EVのレースでは、じつに静かな走行音のみがサーキットでささやく。
 しかし爆音が響かないメリットもある。サーキット場の騒音対策がいらず、立地を問わなくなる。さらに小さな子供や女の子、お年寄りでも音のストレスなく観戦できる。つまりEVレースでは、それまでサーキットに足を運んだことのなかった、新たなファンの獲得が期待できるのだ。
 エキゾーストノートへのこだわりをアフターパーツメーカーが早く捨てることができれば、新たなる顧客の獲得のチャンスも生まれ、EV関連のアフターマーケット市場はブルー・オーシャンになれる。
 昨今の国内自動車市場は、クルマがコモディティ化したために、「燃費がいい」「経済合理的」といった「賢い」クルマへの関心ばかりが目につく。しかし日本の自動車マーケットの活性化は賢いクルマだけではできない。クルマをコモディティではないと思わせられなければ、人は憧れないのだ。やはりクルマはかっこよくないと注目されないし、人の憧れの的にはなれない。
 EVは優等生ぶりや環境問題を含めた社会的意義において注目されている。メーカー市販のEVは、その要素を前面に打ち出して喧伝し、親しみあるファニーさやコケティッシュなデザインで登場させる手法が目立つ。が、日本のクルマ好きたちにはイマイチ刺さらない。
 ここをチャンスと考える供給者の登場が必要だ。超高級車価格にならない「かっこいいEV」の登場を待つユーザーは多いはずだ。テスラモータースはそのマーケットへの訴求をよく知っているメーカーのひとつだろう。ロードスターからモデルSのリリースは「かっこいいEV」で顧客を獲得する戦略だ。
 この戦略でEVの普及を促進しようとする日本のメーカーはまだない。そこを狙うアフターパーツメーカーの登場が待ち遠しい。
 いっそ、バリバリのヤンキー車でEVを表現してみることの提案でもしてもらいたいと思うほどだ。チューニングの世界でいえば、モーターのチューニング、電池効率のチューニングで、さらなる速さの差別化をはかってもいい。
 あるいは日本のエアロパーツメーカーが仕上げたコンプリートEVを登場させてもおもしろいだろう。WALDオリジナルコンプリートEV、ジャンクションEV、アーティシャンスピリッツEVなどが登場することで、マニアたちをうならせることができれば、EVは彼らを取り込むことができ、EV市場を盛り上げることだろう。
 もちろん、時代的に考えれば、痛車のEVのリリースもウエルカムだ。
 いずれにしても、賢いクルマよりかっこいいクルマのほうが魅力的なのは、いつの時代でも変わらない。派手さとEVの持ち合わせている素材のスマートさを融合させた提案が今の日本には足りないのだ。

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EV用アフターパーツを磨いてディーラーオプションへの採用をめざせ!

 今まで書いてきたように、EVはまだまだ課題を抱える発展途上の製品である。最大の課題はリチウムイオン電池の性能にある。ヘッドライトなど一部の補機類を除いて、ほぼすべての供給電源をこの電池が担わなくてはならず、今の自動車の持つ快適性とイージーである利便性をEVに求めれば、それが航続可能距離を縮める結果を招く。
 よって、航続可能距離と快適性の両立がEVの最初のゴール地点であるわけだ。
 しかしそこまでの道のりは決して短くはない。技術の進歩は早いといわれる昨今ではあるが、EVにおいては短絡的に進歩を期待することはできない。

 そもそもクルマの具体的な快適性とはなにか。
 それはクルマの持つスピードと運動性能、そして冷暖房の存在にあるといっていい。
 モーターの発揮するトルクと1万回転以上回るパワー、リチウムイオン電池を床下にレイアウトすることによる低重心構造で、スピードと運動性能がEVではいやでも手に入る。
 が、スピードの魅力を堪能すればするほど航続可能距離は減り、冷暖房で室内温度の快適性を求めれば、さらに航続可能距離を減らす。いやでも手に入るクルマの魅力の代償は、快適を体感することで払わなくてはならない。それらの快適な機能の要求を、すべてリチウムイオン電池が担わなければならないからだ。
 もちろん電池を大量に積めば、これらのジレンマは今の時点でもある程度は解消する。しかしそのリスクは価格と重量に跳ね返り、EVを手軽な乗り物にすることができなくなってしまう。
 ここで、それを違う側面からリカバーする方法はないか、知恵を絞り、可能技術を考えることが重要となる。リチウムイオン電池をまったく使わずにこれらの快適性をリカバーする方法、航続距離の犠牲をそこまで払わずに済む省電化で快適性を得る方法はないかという知恵である。
 あるいはモーターの加速性とトルクをある程度堪能させても、電気消費量を抑える方法はないのか。それを考え、試行錯誤して研究し、提案するのだ。
 ボクはそういった技術論は詳しくないが、数年前、VWがターボを使ったダウンサイジングエンジンTSIで、燃費と走りの融合に成功した。かつてターボはより高出力を発揮させるが、その分燃費が悪くなるという定説をTSIは覆している。
 たとえば、モーターにターボ的な機能を取りつけることで、快適な加速性能を損なわずに省電化がはかれないかといった発想はないだろうか。
 はたまた、超小型ツインモーターにより、走行モードを切り替えられることで、走りの楽しみ方を選びながら、省電化をはかるという発想はどうだろうか。
 冷暖房なら、かつて70年代にヒットした乾電池で動くハンディ扇風機があった。昔のアナログな発想を現代的に応用して、太陽光パネルと乾電池を使った冷暖房機能は開発できないものか。
 暖房だけであれば、後づけシートヒーター、乾電池や搭載されている鉛バッテリーを使って温まるフロアマット、湯たんぽやコタツの応用、使い捨てカイロの原理をEVに応用できないか。
 さらにいうなら、EVに最適なシートを素材や構造から見直してみることや、室内の断熱材を磨いてみることもできるだろう。
 まったく視点を変えて、EV用の冬用着でもありだ。こんな発想でも航続可能距離に寄与できる。このような全方向で機能パーツの開発を考えてみる開発業者はいないものか。
 EVは参入障壁が低く、自動車関連以外でも参入できるといわれるゆえんがここだ。誰がどんな提案をしても、省電化を導くなら、受け入れられてしまうところが自動車革命なのだ。
 国もこのような新しい取り組みに支援体制を整えつつある。ものづくりの高度化や省エネ・新エネに関する支援は、経済産業省を中心に補助金、低利融資そして税の優遇措置まで用意している。官民一体で取りかかれる環境が用意されているのだ。
 そして、それが今の時点でEVの弱点を補完することの役に立つのなら、その発想や技術は、メーカー系の新車販売ディーラーのオプションとして採用される可能性さえあるのだ。
 現実に社外メーカーがつくった自社ブランド品でも、ディーラーオプションとして採用された例はたくさんある。最近では、トヨタ系モデリスタが日本のエアロパーツメーカーに、トヨタ用エアロパーツを開発させ、それをディーラーオプションとして採用している。 
 チープで目からウロコのアイデア製品でも、改良パーツになら、門戸は開ける。積極的に行動すべきなのだ。

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マセラティがEVグランドアップに成功する日

 コンバージョンEVの製作を通じて、ボクがもっとも感じたことは、既存メーカーのクルマを改造電気自動車にする量産型ビジネスは成功しないということだ。
 板橋EVクラブのEV製作では、現行のスズキエブリィをベース車両とした理由のひとつに、新車販売台数が多いことがあった。製作にとりかかった当初は、エンジンが壊れたエブリィのEV製作依頼の可能性も、多少は期待した。
 ところがコンバート作業をしているうちに、今後いくらEV製作作業が簡素化できても、量産でのコンバートEVビジネスは成立しないことがわかった。エブリィの中古車両確保の問題もあるが、大きかったのがミニキャブミーブの登場だった。
 つまりミニキャブミーブのその販売価格である。軽商用車なら、かなりのコストダウンがはかれることは理解していたが、EV補助金とグリーン投資減税効果を合わせると、ローグレードの新車で170万円以下となる。これはこのカテゴリーのトップグレードとなるガソリンターボ車の価格をわずかに上回る程度であり、もちろん市販車EVでは最安値だ。
 これはコンバートEVを同等車種で製作しても、リチウムイオン電池を使用したら、この価格にはならない。この時点で量産型のコンバートEVのビジネスチャンスは終焉となったに等しい。
 つまり、愛車への思い入れなどの特殊な事情に対する個別のコンバートEV製作の可能性しか残らないことになった。旧車や名車のコンバートEVでビジネスになるかどうかという程度のものでしかなくなったのだ。
 それでは、EVの覇者は誰か。リチウムイオン電池を製造するメーカーがEV業界のイニシアティブを握っていることは間違いないが、今の段階ではそれはわからない。
 1960年代初頭、日本の自動車業界の覇者は日産だと誰もが信じて疑わなかった。が、1970年代にはそれがトヨタとなった。
 当時の日産とトヨタは「うさぎと亀」にたとえられることが多々あった。新技術の市販車提案は日産、マーケティングで追随するトヨタといわれ、必ずしも先駆者が覇者になるとは限らないことを表わしていた。
 ハイブリッド車ではトヨタが先に提案し、トヨタが独走といったところだが、EVでは昭和のモータリゼーション時代ふたたびの様相だ。  
 日産はEV専用設計となるグランドアップでリーフをリリースした。一方のトヨタはことEVに関しては慎重を期して追随する。もっとも、EVではアイミーブの市販化がリーフよりは早かった。が、これはアイのコンバージョンEVであり、最初からEV専用車でつくったのはリーフが最初である。
 テスラは今後、モデルSでグランドアップデビューするが、これとて見方によってはコンバージョンの域とする声もある。
 するとこれからEVとして注目を浴びるメーカーはどこか。それはボディを自社もしくは自社傘下で製造できるメーカーではないだろうか。
 自動車はエンジンの複雑さが専業メーカーを存在させることになった。EVでは複雑怪奇なエンジンがない。そして海外メーカーにはエンジンを他社に供給してもらい、クルマづくりをしているメーカーがいくつもある。たとえば、マセラティがいい例だろう。フィアット傘下どうしのフェラーリからエンジン供給を受け、それを自社開発のボディに載せている。
 これがEVとなると、動力となるモーターの供給先はいくらでもある。また高性能なモーターの開発もエンジンほどコストはかからない。となると、マセラティは近い将来、すべて自社製となるグランドアップEVを出せる環境にある。
 これは想像でしかないが最近、日本でもマセラティの動きは怪しい。BMWをはじめとする欧州車販売の営業経験者を大量に雇い入れ、販売環境の整備に余念がない。ミドルセダンクラスへの参入を明らかに想定しているかのようだ。
 が、その先にはマセラティEVがちらついて見える。リチウムイオン電池は今の技術では、量産すること以外で価格を下げることができない。つまり電池はつくり続けなければ普及価格にはならない。その意味では、もはや自動車メーカーにとってリチウムイオン電池の調達は容易な環境にある。航続可能距離がある程度までいけば、あとはエクステリアデザインとブランドが販売力と直結する。
 つまりブランド力とリチウムイオン電池の搭載量の融合で勝負できる時代がくるのだ。マセラティをはじめ高級車づくりの海外ブランドは電池周辺の技術向上がなされれば、競争優位に立つのだ。
 大衆車でEVの普及を考えるメーカーと、高級車でEVに対する支持を得るメーカー。じつはこの二極がEVの理解者をより増加させるいい相乗効果となるだろう。

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EMSならぬEVMSを誰かがやらねばならない

 世界最大のEMS(エレクトロニックマニファクチュアリングサービス)である台湾企業の鴻海精密工業が、日本が誇る電機メーカーのシャープを飲み込んだ。世界最大の下請け会社が、優秀な技術を持つメーカーを傘下に収めたのだ。
 昨今、それまで下請けだった会社がメーカーとなる、あるいはメーカーを買収することは、珍しくはない。世界規模での競争激化に経済成長鈍化が加わり、統廃合による規模のメリットや集約化で生き残りをかける時代である。それにしても、この鴻海によるシャープの支配は衝撃的だったといえよう。
 この鴻海のようなビジネスモデルがEVでは可能となることは、あまり知られていない。EMSならぬEVMSビジネスである。
 自動車はメーカーによる系列化を中心に垂直統合されたピラミッドが形成され続けた。このピラミッドは長い歴史を持ち、日本の自動車の歴史そのものといってもいいだろう。ところが、グローバルな競争により近年、この系列化がほころびはじめた。系列でさえ、他メーカーとの取引を拡大させなければ、生き残れない時代となった。
 EVはエンジン車に比べ、部品点数が少ない。さらに原理も複雑ではない。なぜなら のラジコンカーだからだ。プラットフォームと車体さえ用意できれば、つくれてしまう。これはレース車をつくってきた人や、整備業者でもEVづくりが可能なぐらいのレベルにある。
 このことから考えると、究極のEVビジネスはEMSのような、EVづくり専門の下請け業ではなかろうか。これはEVに関する各専門分野の日本人が結集すれば、可能なことだ。
 このEVMSをいずれ誰かがやってしまうだろう。それをはじめるのは韓国か中国か台湾か…。自動車メーカーが君臨している日本である可能性はどうやら低そうだ。
 しかし、中小企業でもEVづくりへの参画は必要だ。それはこのビジネスがとてつもなく大きなマーケットを築くことが約束されているからだ。
 これが日本の中小企業が集結してEVMSを形成できたら、こんなにおもしろいことはない。受注を集めて、そのロッドでEVをつくるのだ。
 さらに発注業者はファブレスでEVメーカーになることができる。EVMSがOEM(相手先ブランド)で車両を提供するのだ。OEMだけでなく、ODM(設計デザインから生産までの供給)でのサービスをすることで、個性あふれるEVが街を駆け抜けることとなるのだ。そのデザイン性や仕様は自由自在だ。
 これができれば、ユニークでたくさんのEVメーカーが誕生するだろう。選択肢が増えることで、よりリベラルな社会となり、彩られた交通社会が実現する。これがEVを通じたものづくりの未来予想図となればおもしろい。

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あとがき

 EV産業は国家総力戦でなければ諸外国に負ける。
 そのなかでもリチウムイオン電池の技術向上とコストダウンは、安全で安定的な国民生活にも直結する重要な意味を持つ。再生可能エネルギーを産業に、そして生活に使うには、どうしても蓄電という媒介が必要となる。それを磨くには、まずはEV、いわゆる自動車業界で総力戦をやらなければならない。
 広い意味でいえば、自動車は昔から便利さの追究や豊かな生活のための新技術、その手法の模索の実験台となってきた。移動機能と居住空間を持ち、それらの快適性のための機能部品が集約されるからだ。社会テストするにはちょうどいいサイズであることも都合がよかった。
 やがて自動車で耐久性も含めた十分なほどのテストが終わると、それらを建物や社会インフラ、日常生活品にフィードバックしてきた。
 自動車は新しい技術を養い、競い合う場であり、そのことで磨かれてきたからゆえに、地球上でもっとも美しく精密な工業製品といわれ続けられている。
 だからリチウムイオン電池はEVで磨かれ、技術向上を成し遂げ、地域や企業、家庭などの社会インフラに溶け込んでいく。その周辺機器についても同じだ。

 EVは今後、機能部品のリストラクチャリングへと進むであろう。まずはインホイールモーター技術の採用だ。ホイールにモーターを直接取りつけ、モーターが減速機の役目も担えば、変速および減速機能は不要だ。
 さらにボディに空間ができて、車両設計の自由度が向上し、コンパクトなクルマでも空間を持たすことができる。新設される超小型モビリティー分野でのEVでは、このインホイールモーターが主役となるだろう。
 そして同時に車体の軽量化をさらに進めていくに違いない。リストラクチャリングで機能部品のオールインワン化による軽量化に加え、ボディ自体の軽量化が進んでいくのだ。新素材の採用、無駄のないデザインとレイアウトで、少しでも軽くできることはないかと模索するのだ。そうすることで、リチウムイオン電池に与えられた命題への負担を、少しでも減らすことができる。電池本体の軽量化よりも、小型化や設計自由度、そしてなんといっても、航続可能距離の伸長を優先させることができるのだ。 
 この過保護なまでに、他の分野でそぎ落としをはかるのも、リチウムイオン電池の高性能化と耐久性、安全性が満足度の高い次元まで早くいかなければ、次に行けないからに他ならない。それは最終的な目的地となる「エコと経済性と利便性の、安価での融合」である。
 この理想郷へ少しでも近づくには、知を結集し、行動をともなわせなければならないのは、もうわかりきったことなのだ。(了)