歴史

[復刻版]
味国記 ~ふるさと食べ歩き事典~

[復刻版] 味国記 ~ふるさと食べ歩き事典~

■著者  寺尾 宗冬

発売日:2010年3月29日
定 価:1,300円+消費税
四六判
ISBN978-4-87045-233-6

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プロローグより


「はじめに」にかえて~味国記を掘り起こす旅~

復刻の水先案内人 正岡貞雄

「味国記」とは耳慣れない熟語に違いない。そのはずである。著者の寺尾宗冬さん(元・朝日新聞大阪本社社会部、学芸部記者、編集委員)の造語であった。その「まえがき」によると、寺尾さんは、この国のかたちとなりたちに注目した。

火山脈が縦横に走る島国で、耕地面積は、全国土の20パーセントそこそこに過ぎない。国土が山地と渓谷、河川、海で分断された地域で、それぞれ個性ある人間性、文化、風俗が育てられ、それに拍車をかけたのが、幕藩体制による閉鎖的な地域性。やがて生み出されたのが、郷土意識であり、ふるさとの暮らしであった。四面を取り巻く海から得られる魚介類でさえも、土地、土地での調理法に大きな、あるいは微妙な相違がみられる。そういった風土と人間がつくり出したたべものが郷土料理であり、ふるさとの味にほかならない。

「風土記」は和銅6年(713年)に元明天皇ので編纂がはじまった。土地の名の由来、産物、地理、伝承を中心に収集した貴重な記録である。

「人国記」は、鎌倉幕府の五代目執権、北条時頼、のちの最明寺入道が出家姿で全国を歩き、風土の人情やら、物産に言及したものとして、広く読まれたらしい。

風土記と人国記を兼ね、食に重点を置いてまとめよう、というささやかな試みが、この「味国記」である。そこでミコクキという言葉を造成して題名にあてた。

「味国記」が第1巻と第2巻とに分かれて単行本化される元となった、同じタイトルの朝日新聞家庭面のそれぞれの記事と照合してみると、寺尾宗冬さんがいかにこころをこめて、すべての項を書き足していたかがわかった。

新聞連載の開始は35年をさかのぼる昭和49年(1974年)の9月25日であった。先頭打者に起用されていたのは、5年後に刊行された単行本でもそうであるように、「京都」の章だった。が、京料理の味についての歴史や考察といった前置きはなく、いきなり「錦の市場」からはじまり、以下、「つけもの」「おんな酒」「伝統と格式」と週1回のペースで、4回にわたって掲載された後、長野県の「佐久のコイ」へと書き継がれている。

その「錦の市場」の項を読みくらべて見る。

朝の客が料亭、仕出し屋、ホテルの買い出し人。昼から夕方が主婦たち。夜は小料理屋、スナックなどから。扱う量はトロ箱から一さら、一盛りまで。つまり卸と小売りを兼ねる。東京からはるばると新幹線で買い出しに行く人もあるそうだが、最近は婦人の観光客がめっきりふえ、ひと塩ものなどを買っていく。日本料理の原点、の味を探るには、ここをおいてない。

新聞連載では、ひとまず、こう締めくくったはずが、次のように書き足して、書籍としての奥行きを深めている。その肉付け部分で魅力は倍加しているのだ。

京の味は、うす味を基調にしている。そのうす味を、手軽な調理で教えてくれるのが、ごく平凡だが、だし巻きだ。卵焼きともいえるが、卵焼きよりもひと味違った繊細な風味がある。焼き加減、色、ほんのりした味、軟らかで、しかも弾力を残す。かなりの技術が必要だ。そのだし巻きの専門店があって店先で焼いている。香ばしいにおいがたちこめ、見るだけで勉強になる。 (中略)客とのやりとりも面白い。店先にない品でも、顔なじみや、買い物上手に対しては店の奥の冷蔵庫の扉が開くこともある。高度に専門的でしかも庶民的、楽しい小路である。

この錦市場につづくのが「おばんざい」。これは新聞には見当たらない項で、そっくり書き足して挿入されたものだった。「おばんざい」は「お飯菜」と漢字を当てるそうだが、ここで京育ち婦人の料理感覚に触れている。さらに、京の背後にひかえる丹後、丹波にかけて、クリとマツタケのとれる山地が起伏する地の利にも触れる。丹波グリでクリご飯、焼きマツタケ、どびん蒸し。これら家庭料理に欠かせないものも目配りしたかったに違いない。

「伝統と格式―縁深い茶と禅」の項の書き足し分にも、注目した。宇治・黄檗宗萬福寺の普茶料理に触れたあと、「京のたべ歩きは、味の文化史巡りともいえそうだ」と結ぶのに得心できなかったのだろう、「京に三豆腐あり、という。嵯峨と南禅寺の湯豆腐、祇園の田楽豆腐、宇治には黄檗山萬福寺に近い松本平四郎の豆腐羹、薄切りよし、あぶってよし、禅味の結晶だ」と、往時の情報を遺してくれている。湯豆腐、田楽豆腐はわかる。が、豆腐羹は知らない。禅味の結晶とまで絶賛される豆腐の一種。それをつくる「松本平四郎」とは人名か、店名か…。

調べてみると、「豆腐羹」は、萬福寺の開祖隠元禅師がもたらしたといわれるチーズに似た味わいの豆腐の加工品で、門前の「松本老舗」が伝承。形を整え硬目に仕上げた豆腐を、生醤油で三時間ほど火加減しながら煮上げたもので、1日に36個だけ限定生産される貴重品だとわかった。つまり、「松本平四郎」が健在かどうかは別として、いまでも受け継がれているというわけだ。

むくむくと旅心が頭をもたげる。まずは「錦市場」を歩こう。次に南に下って「おんな酒」として灘の「男酒」と、昔から覇をきそってきた伏見の蔵元・醸造所を巡る。そこからなら、豆腐羹が賞味できるらしい宇治は目と鼻の先ではないか。宇治からは木津川を渡って、さらに奈良に足を延ばすのも悪くない。で、味国記(二)の「奈良」の章を、あらためて、開いてみる。

この見開き2ページに要領よくまとめられた「奈良」の紹介に、寺尾さんの見識と「名文記者」として謳われた資質が結晶していた。詳細は本書の158ページに採録されているので、参照されたい。

あのさして広いとも思えない奈良の盆地で、飛鳥、藤原、平城京と、都は3度も所を移し、ついには平安京に遷都して、奈良は古の奈良の都として過去の存在になってしまう。都が移ったのは、急速な国家体制の発展や政争が原因だったといわれるが、地利的にみると、拡大した都市人口をまかなうだけの水利に恵まれなかったことが、大きな要因のひとつではないかとも推測されている。(中略)

社寺のある所には酒造業が生まれる。奈良酒は社寺の需要から始まり、酒かすから奈良づけが工夫された。酒、味噌の神人は、京都で技術を指導し、やがては酒造家として定着する。春日大社の神饌には、奈良時代に中国から伝わったたべものが、いまも生きている。  とよぶ揚げた御果物(菓子)がなお作られ、東大寺では料理が再現された。奈良茶飯、茶がゆは、江戸にも進出したし、三輪そうめん、吉野葛も全国に広まった。奈良には仏と共に、古きたべものも生き残っている。

項目は「吉野葛と三輪素麺」にはじまって「吉野のアユ」、「茶がゆと柿の葉鮨」など、五項目が用意されている。吉野葛については「南朝の遺臣と伝えられる森野家」が、今もなお下市から宇陀に移って薬草研究を代々つづけており、京都から宇陀に移住したくず粉づくりの開発者、黒川家も健在だという。これも、見逃せない情報だが、なんとしても現地に赴きたいと誘惑されたのは、同じ吉野の下市で「」を伝える宅田弥助さんの存在であった。

吉野の釣瓶ずしを、江戸時代に決定的に有名にしたのは、延享4年(1747年)11月、大阪竹本座で初演された浄瑠璃「義経千本桜」の3段目の「鮨屋」の演目で、「吉野下市の名物、釣瓶鮨屋の弥左衛門」が重要な役割で登場するのだ。弥助さんはその48代目。現存している文書や過去帳からでも、確実に慶長年間(1596年~1614年)まではたどれる旧家で、おそらく日本最古のすし屋さんだ。

その48代目の弥助さんはご存命だろうか。早速、調べてみると、立派なホームページが立ち上げられていて「つるべずし弥助」は49代目に譲られている。加えて、紅殻色に染められた店の構えも紹介されていて、割烹旅館かと見紛う構えで、どっしりとした歴史の重みを背負っているのが感じとれた。

これで、奈良・飛鳥の里から山越えして、吉野まで足を延ばす心が固まってしまったのである―といった具合に、35年ほど前にまとめられたものに、あっさり触発されてしまう。

考えてみると、現在の時代、私たちは簡単に食に関する情報を入手できる。TVをつければ、どこかでグルメ番組や、あるいは旅にからめた郷土料理に触れることができる。あるいはインターネットで検索すればお望みの知識や情報をキャッチできる。が反面、もう一つ、充足感というか、そこから膨らむもの、前後左右に関わり合う、奥行きのないことに気づく。

その点、この「味国記」は初出から35年以上が経った今でも、瑞々しい命を保っている。いや、いまだからこそ、食の文化、味の文化について想いを深めるのに、格好の「教典」とすら、思える。そうだ、この「味国記」に刻み込まれた「記憶」の宝庫に現代の光を当て、写真などを補強して、復刻できないだろうか。そして、もしご存命なら、寺尾宗冬さんにお目にかかれないものだろうか。奥付にある「著者略歴」を見ると、1924年、つまり大正14年生まれとある。ともかく朝日新聞大阪本社のしかるべき部署に問い合わせる。

遅かった。2003年に他界されたという。

3日ほど経って、三田市在住の寺尾夫人から電話をいただく。先に問い合わせた朝日新聞大阪本社のしかるべき部署のうれしい配慮であった。こちらの復刻したい意図を伝えると、喜んでいただけたようだ。心が急いだ。さっそくお目にかかる段取りをとりつけたのである。

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